あるがままそのまんま
”あるがまま” ”そのまんま”
何度もそんな言葉をここに書いてきていたけれど、
実のところ私自身、その意味がわかりかねていたんだよね^^;
今でも、わかった!!!って胸張って言えるほど
わかっちゃいないんだけどさ。
それでも、少しずつ少しずつ何かがほどけてくるの。
何かを目にしたり耳にしたりするたびに、
あ・・・っ!と小さい気づきが起こる。
それはあまりにも小さくて、クリアになる部分もほんの少しで。
だけど、確実に見つけられる方向に進んでると感じてるよ。
何年も前に買い込んだ『シッタカブッタ』も、
繰り返し読むたびに何かを発見させてくれるんだよね。
同じものを読んでいても、読む心が違うと見えてくるものも違う。
きっと私の中には、たくさんの種が蒔かれていて、
芽を出すのを今か今かと待っているのだと思う。
面白いんだー。
ひとつの種に色んなものが繋がっているの。
何度読んでもイマイチぴんと来なかったものがあって、
あるブログを読んでから、その本を再度読んだ時に
あーーーっ!!!なるほどっ!!とわかったりするのよ。
で、そこから大分前に友達からもらった手紙に書かれていて
わかってなかったことも見えてきたり・・・。
次々と連鎖が起こるんだよね。
そこでやっとわかるんだ。
これもあれも繋がっていたんだなぁ・・・って。
どれもこれも、ある方向に向かって用意されていたもの
だったんだなぁ・・・ってね^^
気づきっていうのは、自分の外にはないんだよね。
最初から自分の中にあるの。
だけど、色んなものにしがみついているから見えないの。
そこにあるのに気づけないの。
種は気づくきっかけとなってくれるの。
それは、本の中だったり誰かの言葉だったりブログだったり。
花だったり空だったり雲だったり水だったり風だったり。
虫だったり葉っぱだったりね。
そこら中に種はあるの。
おっ?!と思ったらその種を拾っておくことも出来るの。
どこにあるのさ、見えないよ^^;って言う人もいるかも知れない。
でもあるんだよ^^
あるけどない。ないけどあるんだ。
だからね、何色にも染まる真っ白なんだよね。
(一人走ってるので、意味見えないかもです^^;)
”あるがまま” ”そのまんま”
今の段階の私に言えることは、自分という存在に存在の意味を
持たせる必要はないんだよってことかな。
あなたがここに存在している確かな事実。
それだけでいいんだよ。
こうじゃなきゃ、ああじゃなきゃ、こうしなきゃ、ああしなきゃ。
そんなことに思い煩う必要ないんだよ。
自分以外のどこかに自分の価値を探し回る必要もないよ。
理由なんていらないんだ。
”ここにいる”
それだけでいいんだよね^^
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試験を終えて
先週の木・金と、『サービス介助士』の実技教習&試験を
受けてきましたーっ!!
結果は、二、三週間後らしいです。
実技試験は合格したんだけどねー・・・。
問題は学科だよ、学科。
絶対合格するぜ!と豪語してたんだけどねー。
実はちょっと結果が怖かったりするんだな^^;
というのも、真面目に勉強しなかったからなんだけどさ。
はっはっは〜っ!(笑うしかない)
テキストが届いて、まず最初に課題をやってみたんだ。
何も勉強せずにどのくらい出来るのかな?と思ってさ。
で、それをやってからテキストを一通り読んで、
その後から課題をテキストを見ながらやり直したの。
まったく無知識の状態で、70点取れてたんだよね。
そこで一気に気が弛んでしまったってわけ^^;
ここで、こりゃヤバイ!しっかり勉強しなくちゃ!って
思ったらガッツリやったのだろうけど・・・汗。
まぁ、しゃーない・・・。
終わってしまったもんw
サービス介助士のマークってのがあるんだよね。
1つめの意味として、ジェロントロジーの観点からこの世に
人間が生まれてから死ぬまでを象徴しています。
5つのハートの集まりは、色合いの濃淡が徐々に薄くなると
ともに、ハートの形状も徐々に大きくなっています。
これらの様子は小さなハートが成長していくまでの
発達の5段階、「乳幼児・児童期」「青年期」「成人期」
「老年期」を表しています。
また、最後の白いハートは自分で自分の人生の色に
染めるという意味を持たせています。
『サービス介助士2級 検定取得講座テキストより抜粋』
最初は濃いブルーで、年齢と共に段々薄くなっていって
最後は、大きな真っ白なハートになるの。
これ見てて(読んでて)思ったことがあったんだ。
最初はね、なんで段々薄くなっていくのかな?って思ったの。
最初が真っ白で無垢な状態で、生きていくうちに
色んな経験を積んで色も深まっていくんじゃないかな?って。
でもさ、多分これが本当なんだろうね。
本当っていうか、それが本来の生き方なのかもです。
色んな経験を積んで、色んな色に染まって・・・。
その色故に身動きが取れなくなったりしてね^^;
だけど、本来私達って真っ白なのかも知れない。
それに気づいてゆくのが ”老い” なのかもです。
〇〇がどうした、ああしたってところにばかり目を耳を向けて
いつの間にか真っ白だったことも忘れて。
自分の思うようにいかないことを、周りのせいにして。
だけど本当の自由っていうのはそんなところにはないのね。
テキストにある通り、自分の人生は自分で染めるもの。
そこにどんな意味を持たせるかも自分が決めること。
自分次第で、自分の人生は何色にでもなる。
それを知ることが、老いであり、白なのかなって^^
人生に遅すぎることなんてない。
この言葉の本当の意味が見えてきます。
試験に受かるかどうか定かじゃないけれど^^;
それでも、このテキストを手にしたこと。
様々な実技を通して見えたこと。
それはとても大きなものだったと思っています^^
↓でも、合格するよう祈っててーっw
まだまだっ!
なんだかんだと早いものです。
年頭の記事を読み返してみたら・・・( ;´Д`)
そうだった、今年は最悪の年明けだったんだわ(苦笑)
そんな中でも、健気に(?w)目標を立てていたりするんだけど、
まぁ・・・あまり達成出来てないかな?ははは^^;
それでも今年は花壇も花いっぱいにしたし、
色んなことが大きく変化したよなーと思う。
一番自分で感じることは、”気づきの年” であったということ。
今年は本当に気づきが多くあったと思う。
悩んで悩んであがいてもがいてジタバタグルグルして・・・w
そんな中で大切なことをいっぱい見つけたなぁって^^
それでも、まだまだなんだけどね。
気づきって段階があると思うんだよね。
あ、こういうことだよね!と気づいても、まだ輪郭はぼやけてて、
更にその気づきの輪郭がはっきりする気づきがあって。
きっと、これでヨシ!なんてことはないのかも知れない。
だって、人間の可能性って無限大だものね。
今年、輪郭が以前よりはっきりしたことの1つに
”執着について” がある。
何につけても執着してはいけないということだ。
自分が持っている確固たる正しさであったとしてもだ。
本当の正しさというものは、執着とは無縁なものだと思う。
例えどんなに正しいと思えることでも、またそうじゃない
ことであったとしても、その全てを包容(抱擁)するもの。
実際のところ、何が正しいか正しくないかなんて
どこにもないのに、それを理由にして善悪を決めてしまったり
優劣を決めてしまったりしちゃうんだ。
執着は、それがどれだけ正当だとしても、
そこに争いの種を蒔いてしまうことが多い。
執着心は、自他を分けてしまうから。
私はずっとそういう生き方をしてきていたよ^^;
や、実際はまだまだそこにいるんだけどさ・・・汗。
何にも囚われない自由な心。
それが本来の人の生き方なのだと思う。
もちろん、社会を生きるにあたってしてはいけないことは
歴然としてあるんだけどね。
でも、そこよりももっと広い世界があって、
ぼちぼち私達は、そこへ向けて足を踏み入れていこうと
しているのだと感じるのは私だけじゃないよね^^
残り一ヵ月半、まだまだ気づくぜっ!(^_^)v
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今に生きる
なんでもない小さなことを拾って不安になるのは
いつものことなんだけど、最近は自分自身に対して
大丈夫、大丈夫って声を掛けて踏ん張るようにしていたんだ。
それでも時々不安に呑み込まれてしまうときがあって、
そんな時は必ずといっていいほど、彼と喧嘩になる。
不機嫌な顔になってしまうのは不安だから。
安心できる言葉を聞こうとしないのは聞くのが怖いから。
私が望んでいる言葉が返ってこないかも知れないという
恐怖のほうが信じる気持ちよりも強いから。
心の奥底で私が叫ぶ。
やっぱり私なんていない方がいいんだ。
やっぱり私の存在は迷惑にしかならないんだ。
そして、そんな想いを裏付けるような言葉が
彼の口から飛び出てくる。
お前のそういうところはほんと疲れるわ。
やっぱり距離を置いた方がいいんじゃないか?
この先やっていけるか不安になるわ。
そして、ますます私は萎縮をしてしまうのだ。
だけど今回ふと気づいたことがあった。
彼の言葉は、私の中の不安や恐怖を増長させるために
言っているのではないのだと。
ただ、私がそう受け取っているだけのことなのだと。
多分・・・これは憶測でしかないのだけれど、
彼は、私のそういう部分をきちんと指摘して直して欲しいと、
そして、この先に生かして欲しいと願っているんじゃないかな。
彼は、私の口から 「そうだね、じゃあそうしようか。」
なんて言葉は聞きたくないのだと思う。
「嫌だよ!頑張って直すよ!」って言って欲しいのかも?
俺と一緒にいたいなら、ちゃんと直せ。
一見傲慢とも思える、そう受け取れるけれど・・・。
多分これは彼流のやり方で彼流の思い遣り。
その証拠に仲直りした時は、すごく先のプランなんかを
いきなり話し始めたりするんだよw
そしてこれもまた、彼流の思い遣りなのだと思う。
少しでも私の不安を取り除こうとしてくれているのだと。
そしてもう1つ気づいたことがある。
私はまだ、不幸体質・・・不幸上手な自分を捨て切れてない。
心の叫びを聞きながら、まだ私は過去の傷から
癒されきれてないんだなぁって思っていたのだけれど、
一昼夜経ってわかったんだ。
あー、違う。
傷なんてとっくに治っているんだよ。
それなのに、まだ傷ついてる自分を演じてるんだ。
私はまだそこにいることを自分自身で望んでいたんだ。
・・・ってね。
”今”の私に、過去の傷なんてないんだ。
あるのは、”過去の傷を背負った今の自分” だけなんだ。
ちゃんと、”今” を生きれてないね^^;
私はちゃんと今を生きれるようになろうと思う。
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とりあえずの安心
今日は、自宅のある団地でちょっとした工事があり、
朝9時から夕方5時の間ということで、いつ来るかわからないので
取り合えずは待機をしていなくちゃならなかったんだよね。
で、調度いいので待ちながらまだまだ終わらぬ片づけをしようと
思っていたのですが・・・w
朝から晩までかかって、カレカノ全巻読み終えてきました。
ヽ( ´ー`)ノフッ。。。w
〜*〜*〜*〜*〜*〜〜*〜*〜*〜*〜*〜
不安を抱えてない人なんて、この世界には存在していなくて、
その不安を埋める方法は人それぞれなんだと思うけど、
みんなどこに安心を求めているのだろうね。
結構、自分以外のどこかに安心を埋めてくれるものを
探している人って多いのではないだろうか。
本当の安心って、本の中にあるものじゃなくて、
誰かの言葉や態度の中にあるものでもないんだよね。
もちろん、お金や学歴や地位なんかの中にもない。
法律なんかで守られているところに籍を置くことでもない。
逆に、そういうものがあるが故の不安を作り出して
しまったりすることもあるしね。
そういうのを見聞きしたり、得たりして、
その場は安心できる時もあるけれど、
それって単なるとりあえずの安心にしか過ぎないんだ。
だから、何かあるとすぐにまた不安に呑み込まれてしまう。
じゃあ、本当の安心ってどこにあるのか?
自分の中です。
これは、間違いのない事実だと思う。
そして、ただ闇雲に安心を求めてもどうなのかな?と
この頃は思ったりもします。
不安の大元になっているものを、果たして本当に自分自身
わかっているのだろうか?
〇〇がこうだからとか、〇〇がああだからとか・・・。
本当のところそんなところには根本的な原因はないわけで。
不安を作り出しているのは外から来る色んなものじゃなくて、
自分自身の心の中にあるんだよね。
そこをおざなりにして、周りが誰かがあーだこーだと
言ってても、いつまで経っても安心は得られない。
というかね、不安って悪いことなのかな?
安心も不安も、その人自身が決め付けてしまっているだけ。
その人自身の物の見方、考え方でそう捉えられるだけ。
そんな風に思います。
書きながら思ったけど・・・これ、大分前にも同じことを
書いているような気がする・・・(苦笑)
まぁ、いいや♪ 繰り返しこの想いが湧き出てくると
いうことは、今の私自身にとっても今一度そこを
きちんと見つめなおしなさいってことなんだろうしね^^
取りあえずの安心だけを追い求めているうちは、
いつまで経っても、本当の安心には辿り着けない。
自分の心を注意深く見つめていると、そんな癖や
轍にはまってしまっていることに気がつけると思います。
多分、本当の安心って、安心とか不安とかを
超えたところにあるんじゃないかな・・・って思う。
とはいう私も、まだまだ暗中模索状態なんだけどさ^^;
取りあえずの安心に身を任せて、何も見つけようと
しなくなってしまうことをやめたいなぁとは思ってる。
でね、闇雲に探し続けていればいいってもんじゃない。
案外、探すのをやめたときにふと目の前にあることに
気づいたりするものなのかな・・・なんても思う。
あるがままって簡単だけど簡単じゃない。
取りあえずは、肩の力を抜いてリラックスして・・・。
ボチボチいきましょか^^
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