あお’SROOM

生きていくって大変だよね。日常の中から色んなことに気づいてちょっとずつ成長できたらいいな。
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想念のエネルギー

ヽ(´ー`)ノ ふぅ~・・・。
さすがに休みなしは、きっついなぁ・・・^^;
今日は朝9時から午後4時までずっと、シュレッダーが必要な書類と
そうじゃない書類を分別していたので、もう、手がひどい有様w
シュレッダーにかける紙は、ホッチキスや紐を外さなくてはならないし、
古い書類なので、埃だらけ(>_<)
ハンドクリームをいくら塗っても、すべて吸収してしまいそうですww

しかも、ストーブもないところでやっていたので(今日の気温-6℃)
寒くて寒くて、鼻水垂らしながらやってましたよ(苦笑)
でも、現場の従業員の一人が風邪ひくからと言って、
防寒のズボンを貸してくれたんだ♪(スカートでやってた・・・汗w)
貸してくれた人の心そのままに、そのズボンはとてもとても
暖かかったです^^


私は霊感とかがあるほうではないと思うのですが、
~~~(m-_-)mウラメシヤァも、見たことないしねw
でも、車で通っていて、なんかここ嫌だなぁ・・・と思う場所があります。

何年か前に、旧道を整備して走りやすくした道路が出来ました。
カーブも少なく、信号もなく、国道を通ることなく、
要するに目的地への近道となる裏街道です。
最初、その道が整備されると聞いたとき、
(ノ´▽`)ノオオオオッ♪ 便利になるね^^ なんて話をしていました。

道路が完成したと聞いてそこを通ってみました。
でも、車を走らせながらどうも嫌だと感じる。
何がどうというわけでもない何の変哲もない道路なんだけど、
何かが嫌だ。
自分の中の何かが、ここは通らないほうがいいって言ってる。
なので、それ以来出来る限りその道を通ることを、しないようにしました。

その道路に嫌な感じを持った時から間もなく、
立て続けに事故が3回起きました。
あぁ・・・。やっぱりかぁ・・・。漠然とそう思いました。
そして、その道路は整備開通後一年も経たないうちに、
事故が多発する道路として有名になってしまいました。

先日も友人達と、「また死亡事故があったねぇ・・・。」
などと話をしていたのですが、そのうちの一人が
「あの道って何かあるのかなぁ?良く通るんだよね。」と言うので、
「心が安定してる時は通ってもいいと思うけど、
不安定になってる時は、通らないほうがいいと思うよ。」
と、その疑問に対して答えました。

友人は私の答えに疑問を持つこともなく、
「うん、わかった。そういう時は通らないようにするわぁ。」と
答えてくれました。
私が何故そう言うのかはわからなくても、私の言うことを
信用してくれているのですよね^^
とても嬉しく有難いことだと思います☆

多分そこには、想念のエネルギーで出来た磁場があるのだと思います。
以前にも書いたように、想念にはエネルギーがあります。
そして、それは電波のようなもので、同じ想念同士が呼び合う。
事故が多発するような場所には、良くない想念が磁場を作っている。
なので、自分の中にそういう想念があるときにそこを通ると、
呼び寄せられてしまう・・・ということになるのですよね。

呼び寄せられ、事故を起こしてしまった人の想念が
また、そこに留まる。ここにも連鎖がありますよね^^;
巷で有名な事故多発現場を通る時は、怖がったり不安になったり
せずに、心静かにその磁場に安らげるよう祈りをもって通ることを
お勧めします^^
一人一人のそういった行動が、磁場に巻き込まれる事故を
減らしていくと私は思っています。

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【 2007/02/28 (Wed) 】 お勧め! | TB(0) | CM(12)

わかったつもり

以前に、このブログに書いてあることが、
「難しくてわからない」と時々言われることがあると書きました。
そして、わからないことは悪いことじゃないとも書きました。
何故かというと、自分がわかってないことを自覚するのが
とてもとても大切だと思うから。

何よりも避けたいのが、「わかったつもり」になってしまうこと。
「わかったつもり」になってしまうと、「気づく」ことが出来なくなります。
「気づく」ことが出来なくなると、そこで歩みを止めてしまうことになる。
一人の人が歩みを止めてしまうと、それだけ世の中も歩みを
止めてしまうことになってしまうのだと思います。

何のために「気づく」必要があるのか。
人として深みのある者へと成り行くためです。
何故深みのある者へと成り行く必要があるのか?
そのために生まれてきているからです。

深い心を持つということは、どういうことでしょうか?
沢山の教養を得ることですか?
沢山の富や名声を手に入れればいいのですか?

深い心を持つということは、自分自身の心を解放するということです。
自分自身の心を広げていくということです。
自分自身の中にある光に目覚めるということです。
そしてそれを成しうることの出来る力は、全ての人に備わっているのです。

この世の中自体が不平等なわけではありません。
この世の中に生きている人の心の中に不平等があるのです。
自らの心の内にある不平等に気づかずに、それを世の中のせいに
していても何も解決はしません。
そして、一人一人が自らの心の内にある不平等をなくさない限り
この世の中から不平等はなくなりません。
これは、不幸についても同じことが言えます。

今、それに向かっている人はそうじゃない人を見下げることが
ないように気をつけていくことが大切だと思います。
今はまだ、そんなことは見えないと思う人は、そんな自分を
見下げたり責めたりする必要はありません。
全ての人は、『過程の中』にいるからです。
成り行こうとしている存在だからです。

私は私の言うことを信じろと言うつもりはありません。
押し付ける気もありません。私自身まだまだ『過程の中』ですから^^;
それに、何度も書いてきているように鵜呑みにはしないで
欲しいと思っています。

でも、私が日々書く記事を読んで、何かに気づくことがあったなら
私の記事ではなく、その『気づいた心』を、何かに気づいた
『自分の心』を大切に大切にして欲しいと思います^^

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【 2007/02/27 (Tue) 】 心のままに | TB(0) | CM(11)

答えは自分の中にある

ここんところ連日の力仕事&休みなしのせいか、
今朝はやっと起きました・・・( ;´Д`)
会社へ行くと、みんな同じことを言っていたw
ようやく、引越しも一段落という感じで落ち着いてきました♪

昨日は、カウンターの数字は上がっていたけど、
さすがにコメントは少なかったなぁw
多分、そうなるだろうと思ってはいたのですが☆
コメント下さった方、本当にありがとうございます^^
ああいう記事にはコメント書きづらいものだと思うし、
人それぞれ思うところがあるだろうしね♪

何を書いたらいいのかわからないとか、
そんなこと有り得ないと思う人とか、
自分の中の何かが邪魔をして書けない人もいるでしょう。
それはそれでいいと思います。
昨日書いたことが重要なわけではないのですから^^
今までもそうだったように、これからも同じ時代を生きる
仲間として、一人の人間としてお付き合いしていただけたら
と思います^^

どうしてもスピリチュアルなことに関しての話には、
顔をしかめる人が今の世の中には多いです。
でも、大切なのは何度も書いているように
「知識」ではなく、「心の在り方」なのですよね。
「知識」ばかりが増え、心がそれに伴っていかないと、
自分で自分を苦しめることになってしまいます。
決して興味本位で首を突っ込んでいいことではないと思います。

私も昨日書いたように、友人から様々なことを教えてもらいましたが、
私が興味本位で色々な質問をしている間は、
何一つ語ってはくれませんでした。
逆にたくさんの質問をされてしまいました^^;

・努力とはなんですか?
・反省とはどのようなものですか?
・あなたはどこから来てどこへ行きますか?
・夫婦とは何ですか?
・生きるということはどういうことですか?
・男女の違いはなんですか?

など等・・・、この倍はありました。
そして、これらの答えをきちんと見つけるまでは
何も語りませんと言われました。
大分前にも書きましたが、一回目に出した答えはあっさりと
否定されてしまいました・・・汗w
「理想論を答えなさいとは言ってません。」とやられたw

私は頭で考えることから離れ、静かに自分の心に問いかけ
自分の心が答えるものを見つめて、答えを出しました。
その答えは認めてもらえて、「もう何を聞いてもいいですよ。」と
お許しをいただけたのです☆

何よりも大切なことは、自分自身と向き合い、自分自身の
心に問いかけることだと思います^^
全ての答えは、自分の中にあると私は思います。

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【 2007/02/26 (Mon) 】 心のままに | TB(0) | CM(18)

勇気と力を与えてくれた言葉

以前に、過去にとても大切な手紙を失ってしまったと書きました。
本当に私はその友人と、その友人から出る言葉に
助けられ救われました。
特に救われたと思えた言葉を覚えています。

「あおさん、あなたの魂はとても光り輝いています。
現世での曇りのようなものは存在しますが、
それはあなたの努力次第で十分浄化することが出来ます。
大丈夫。勇気を持って歩んでいってください。」
自分を認めることが出来ず、生きていることが
迷惑にしかならないと思っていたその頃の私にとって、
この言葉がどんなに勇気となり、励みとなったか知れません。

その人が語る言葉に違和感を覚えたことは一度もありません。
ただただ、己の小ささを痛感するだけでした。
その人の持つ視野はとてつもなく広く、今の私ではその足元にも及びません。
今の私が気づいたことなど、その人から比べたら知れています。
まだまだ、ほんの入り口にしか立っていないと思います。

以前にも書きましたが、そのやりとりが続き、
私が自分と向き合うようになってから、厳しさはなくなり、
色々なことを教えてもらいました。
魂のこと。地球のこと。宇宙のこと。
悟りには段階があり、その人の悟りはその時点では
銀河系大までだということ。
銀河系の星々がパノラマのように心の中に広がって、
言葉では言い表すことの出来ない感動だったと聞かせてくれました。
今はもう寿命が尽きて存在しない星に住んでいたと、
その当時のそこでの生活を語ってくれました。
宇宙に出たことのある魂のオーラは色が二重になっていて、
「あなたは一つだから、地球生まれ地球育ちの魂ね。」と言われました。
その他にも本当に色々なことを教えてもらいました。

その友人は、自分はラファエルの弟子なのよと言っていました。
時々その友人のもとを訪れ、いろいろなことを教えてくださるのよと。
帰られたあとは、なんとも言えないいい香りが部屋中に
漂うのだとも言っていました。
その時の私は、そういう知識を持っておらず、ラファエルって誰?
なんて思ったくらいのものでした^^;
ある時、その友人を通してラファエルが私にメッセージをくださったことがあります。
残念ながらその全文を思い出すことが出来ていません(涙)
出だしだけを覚えています。

『自分が欠点だらけだと嘆くあなたを、私たちはとても愛しく思います。』

その後を忘れてしまった、とても痛い私であります・・・。
そして、そのメッセージのあとに、いつも冷静沈着な友人が
「今帰られました。これはすごいことですよ!あの方はとても忙しい方ですし、
私たちが不肖の弟子のせいもあって、私たちの他には今のところ
弟子をお取りではないのです。
弟子として認めてもらったのも同じことなんですよ!」
と興奮冷めやらぬ状態のことを書いていて、こっちのほうが驚きました。
何とも実感が湧いていなかったからです。
ちなみに、その時から10数年経った今でも実感はありません^^;

ここに書いた話を信じてとは言いません。
これが本当であるかどうかは、これを語ってくれた友人の心に
直に触れたことのある人しかわからないと思うからです。
私自身、ラファエルの話を始め、色んなことが本当かどうかわかりません。
ただ、わかっていることが一つだけあります。
友人は、自分を高く見せるために見栄を張るような人ではなく、
嘘をつくような人でもないということです。
そして、私がこの人生で出会った中で一番心が深く広い人だということです。
私はその友人を、連絡が取れなくなってしまった今でも
心の底から信頼しています。

辛くてくじけそうになった時、いつもこの言葉を思い出しては
また頑張ろうと思いながらここまでやってきました。

「大丈夫。あおさんはあの方に認められたのだから。
自信を持って、歩いていってください。世界中を飛び回って
お仕事をされていますから、とてもお忙しい方なのです。
でも、光だけは必ず届けてくださいますから^^」

そう言ってもらえたことに恥じない人生を歩み、
胸を張って天へ帰れるようになりたいと思っています^^

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【 2007/02/25 (Sun) 】 あおってこんなヤツ♪ | TB(0) | CM(18)

余分なお金には無縁ですw

今日は8時半まで、引越し作業をしていましたw
明日も朝から行かなくてはっ!(>_<)
昨日食べた焼肉、すべて消費してしまったわ(爆)
伊達に長い年月、農業やっていたわけじゃないので、
結構、力仕事は出来るのですよ♪

私は、クレジットカードというものを一切持っていません。
欲しいものがあったら、まず貯める。貯まったら買う。
大体、借りるということ自体がどうも好きではないw
だからと言って、クレジットで物を買う人をどうこうは思わないし、
言いもしないよw それは、個人の考え方だし、自由だしね☆
使い方によっては、ポイント貯まったり色々と特典もあるし♪

車も今までに、中古車2台、新古車2台買っていますが、
全部キャッシュ。
それって、車を販売する側からすると、カード会社からの
手数料が入らないので、あまり嬉しいことではないようだけどw

私のこういった、お金に対する姿勢?みたいなものは、
育ってきた過程に大きな要因があると思います。
小学生時代は、前にも書いたけど毎日同じ服を着て行って
同級生に馬鹿にされていたし、家の冷蔵庫なんて
勝手に開けたら、めちゃめちゃ怒られたし^^;

中学校に入って、お小遣いをもらえるようになって。
私は他の子たちよりは、1000円くらい多くもらっていたんだよね。
でも、学校に必要なもの以外は買ってもらえることがなくて、
その中から、下着や服まで全部自分で買わなくちゃならなかった。

中学生の頃は、吹奏楽がやりたくて!
で、一生懸命お小遣いとお年玉を貯めてそのお金で
クラリネットを買ったんだ。当時一番安いので、4万だったよ。
服なんかは、いとこのお下がりをもらって着てた。

自分の部屋はあったんだよね。
でも机だけしかなくて、棚もないヤツねw 
それと布団しかなかったの。
思い起こせば、ストーブもなかったんだよねぇ・・・。
高校2年の時かな??? ようやく買ってもらえたのは。
よく凍死しなかったな・・・汗w
あぁ!あのねっ、あまり立派じゃない家に住んでいたので、
朝起きたら、布団の上に雪が載っていたことがあったよ(苦笑)

自分の部屋らしく、色んなものを揃えたくて。
また、お金を一生懸命貯めてね、高校3年の時に
ベッドとカーペットとタンスとゴミ箱を買った!
もう、嬉しくてさー♪友達呼びまくったwww
そのベッドは、いまだに使っています。

高校って給食がないでしょ?
家のお金でお弁当のおかずを買っていたら怒られてね^^;
払え!って。でも、払えるわけもなく。
アルバイトとかも、なかったしね。
頑張って交渉して、やっと月に2500円だけもらえることになった。
当時は週休二日制でもなかったし、部活もやっていたので
一日の割り当てが、100円に満たなかった。

その中で、毎日のお昼ごはんをやりくりしていたよ。
朝ご飯というものは、食べたことがなかった。
よく、保健室の先生に、顔色が悪いから朝ごはん食べなさいって
小・中・高校と言われ続けていたっけ^^;

親にお弁当を作ってもらい、それに対して
「これ、嫌いだから入れるなって言ってるのに!」
なんて文句言ってる人を見ると、当時はめちゃ腹立ちましたねw
毎日作ってもらってて、何文句言ってんの?ってねw

今も、薄給で生活するのがいっぱいいっぱい。
ほんと私って、お金には縁がないらしい( ;´Д`)
でも、そういう環境で育ったからこそ、
お金の大切さが身にしみているし、今の生活ができるのだと思う。
もともと、おしゃれでもないし、ブランド物にも興味ないしね☆
そして、今も私の部屋で現役で役に立っているベッドは、
私の誇りでもあります♪

ほんと人生って、目の前のことだけを見ていたら、
何が本当の意味で幸せなのかってことが、
見えないものだと思うよ^^

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【 2007/02/24 (Sat) 】 あおってこんなヤツ♪ | TB(0) | CM(14)

地球からの借り物

ヽ(´ー`)ノ ふぅ~・・・。
今日も一日肉体労働・・・疲れたぁ(>_<)。
でも、明日も明後日もだな・・・が・・・がんばろw

実は、昨日記事を更新して、ちゃんとご飯を食べたんだけど、
そのあと、非常に具合が悪くなりまして・・・w
あまりにもひどい吐き気で、胃薬を飲んだら
その直後、胃の内容物が逆流してきたっ!
思わずトイレに走ったんだけど、いやぁ・・・間に合ってよかったw
顔におつりが来るくらいの勢いで、嘔吐しまくり( ;´Д`)

うあ・・・せっかく食べたもの全部吐いちゃったよ・・・と思ったけど、
吐き気が一向に治まらない。
で、お水を飲んでは、また嘔吐の繰り返し。
何か悪いもの食べたっけ・・・???
友達が、吐き気に効くツボを教えてくれたのでオシオシw
そうこうするうちに、段々と具合の悪さが下に下がってくるのを
感じてきた・・・。

再びトイレに駆け込み、またもやおつりが来る勢いで
下痢・・・。形なんてものはありゃしない。
Σ(・o・;) ハッ!・・・今夜カレー食べた方ごめんなさいw

嘔吐4回、下痢4回ほどでようやく治まって来た。
でも、唇が乾いてきて、やばー・・・、これ脱水になるなぁと思い、
友達はポカリがいいよって言ってくれたけど、ないし。
このマイナスの寒空の中、身支度整えてコンビニまで走るほどの
体力も気力もない・・・。
なので、白湯を5,6杯飲んで何とか良くなりましたぁ。

そんな悪いものを食べたつもりもなかったんだけど、
何かが駄目だったのか、日頃の不摂生が祟ったのか?^^;
でもさぁ、体ってほんと凄いよねと思った。
私自身、悪いものを摂りいれたつもりはなかったのに、
私の意志とは関係ないところで、ちゃんとそういうものを発見して
排出しようと頑張るw

ついついないがしろにしてしまっていたのに、そんなことには
お構いなく、ちゃんと自分のやるべき任務?を遂行するんだ。
どう扱われようと、恨みに思うわけでもなく、逃げ出すこともなく、
無責任に放り出したりもしない。
いつだって全力で、万全の状態を保てるように頑張ってる。
わが体ながら、見習わないといけないよね。

この身体は、この人生で多くを学ぶために地球から借りているもの。
寿命がきて、死を迎えたあとは土となり地球へ返すもの。
一昨日の記事で叱ってもらって、そんな大切なことを
忘れていた自分をとても反省しました^^;
もっともっと自分の身体を大切にしなくちゃね☆

今日は会社の人達と焼肉行って来ましたっ!
そのあとカラオケ♪一曲しか歌わなかったけどw
でも、すっごく楽しかったので週末のお仕事頑張れそうです♪

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【 2007/02/23 (Fri) 】 日記 | TB(0) | CM(28)

心って♪

ヽ(´ー`)ノ ふぅ~・・・。
今日は一日肉体労働?していたので、とても疲れました^^;
そして、明日も明後日もだーーーっ!
なんせ、明後日は会社のお引越し。
不要な書類などの選別やら、荷造りやら・・・。
あるわあるわ・・・、一体いつのやねん!って言いたいくらいw
そんなんで、今週末は休みなしです(泣)。

昨日はご心配お掛けしまして、(*_ _))人 ゴメンナサイ。
沢山の励ましのお言葉やら、お叱りのお言葉やらで
すっかり“o( ̄- ̄*) ゲンキゲンキ!!
なんて、単純な私なのだろう・・・汗w
でも、本当にありがとうございました^^

今日はちゃんと食べます♪
フキの煮付けを作り、いわしを焼きました^^
あとは、残り物の野菜と卵を入れたおじやです☆
叱ってくれる人がいるというのは、とても嬉しいものです。
気にかけてくれる人がいるということは、
こんなにも心強いこと・・・。
ここでの出会いに心から感謝します。

心ってね、距離も時間も関係ないんだよね。
今、ここを読んでくれて、うんうんと頷いてくれている人がいたら
きっと、今、心はとっても近くにあると思うんだ。
逆に、すぐ隣にいてもその心がとっても遠く感じたりもするよね。
遠く離れていても、こんな文字だけの世界でも
心と心は響きあうことが出来るんだよね☆

そして心って、遠い過去のことを思い出しても
今、それを体験しているかのように、その時感じた想い、
哀しかったり、辛かったり、ワクワクしたり、感動したり・・・。
それらが、一瞬のうちに鮮明に蘇って来るよね。
想いを馳せるだけで、それを感じた時の心に飛ぶことが出来る。
だから、私は心には距離も時間も関係ないって思う。


遠く離れていても、心はすぐ傍にいることができる。
時間や距離を越えて、抱きしめることができる。
心の想いって、時空を超えることができるんだ^^
前からそう思ってはいたけど、昨日つくづく実感しました♪
励ましてくれる人がいる、心配してくれる人がいる、
叱ってくれる人がいる・・・。
私は一人じゃないね^^ とっても幸せものだね☆

みんなからの温かい心を、私のパワーに変えて
これからも頑張りますっ!
あるがままに書いているので、また凹んだりもすると思うけど、
どうかこれからもよろしくお願いします^^

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【 2007/02/22 (Thu) 】 心のままに | TB(0) | CM(26)

ありがとう^^

私って物事にあまり動じなくて、テキパキしていて
とても強い人っていう印象を持たれることが多いんだよね。
それは、ネットの世界でもリアルの世界でも。

でも、私は強くなんかないよ・・・。
強くあろうとしているだけだよ・・・。
本当はとても弱い人間だよ・・・。
めちゃめちゃ寂しがりやなんだよ・・・。

すぐ、くじけそうになったり、逃げ出したくなったり。
だから、いつもいつも自分自身に「強くあれ!」って
ずっと言い聞かせてきていたよ。
そんなんで、めちゃめちゃ意地っ張りの自分になったわけw
この頃は、少しずつ弱い自分も見せれるようになってきたけどね^^;

先日札幌から帰って来てから、なーんか調子が悪い。
疲れたっていうのもあるんだけど。
3日間、いつも傍に人がいて、帰って来てからまた一人ぽっち。
私は寂しいのかも知れないなぁ・・・。
この頃は、食事もまともに摂ってない。

もちろん、色んなものに生かされて見守られていることは
ちゃんと感じているよ。でも、それとこれは別ものだよね^^;
食事を摂るのも、テレビを観るのも、やはり誰かがいると楽しいよね。
なーんて、泣き言並べてみたってどうしようもないんだけどw
時が経てば、またちゃんといつもの自分に戻れると思います。

そんな私は今、本当にここに救われているよ。
毎日仕事から帰って来ると、コメントを入れてくれている人達がいる。
それがどんなに嬉しいか!
中には、私の言葉で救われたと言ってくれる人さえいてくれる。
そう言ってもらえることが、どれだけ私の力となり、
励みとなり、勇気となることか・・・。
いつもいつも感謝しているのは、私のほう。

自分の存在が迷惑にしかならないと長い間思っていた私にとって、
『ありがとう』の一言は、こんなにも心に染み入る。
あらゆることに生かされていると感じられるようになった今でも、
誰かから、『必要とされる』ことが、こんなにも嬉しい。
今の自分が持てるだけのありったけを以って、力になりたいと思う。
沢山の光をもらっているのは、私のほうです。

存在の有難さ。それに対してこんなに感謝の気持ちを持てるのは、
長い間、自分の中の孤独と戦ってきたお陰。
今まで歩んできた人生に感謝です^^
そして、一人ぽっちの日々の生活の中。
いつも支えてくれるみんなに、感謝です^^
改めて、この場を借りて。

『いつもいつも、本当にありがとう!』

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【 2007/02/21 (Wed) 】 心のままに | TB(0) | CM(27)

願いを祈りに

どうしたらいいのか答えが見つからなくて、
煮詰まってしまうことがあります。
こうありたいのにそう出来ない。
他に方法も見つからない。
どうしたらいい方向へ向けることが出来るのか
その糸口さえもわからない。

生きていると避けることの出来ない色んなことにぶつかる。
じゃあ、受け止めてしまおう!
そして、自分は何をしたらいいのか、何が出来るのかを考えよう。
何をしたいのか心を見つめてみよう。

自分が今思っていること、感じていることは
本当に自分の心の奥底からの願いなのか。
自分に自分で言い訳をしていないか。
誰かや何かのせいにして、逃げていないか。
自分が本当に大切にしたいと思っているものは何か・・・。
静かに自分に問いかけてみよう。

愚痴を言うことで何が生まれるのか。
誰かを非難することで何が生まれるのか。
自分と人とを比較する心に何が生まれるのか。
そこからどういう波紋が生じてくるのか。
よーく考えてみよう。
そこに自分の大切なものを生かしていくことは出来ますか?
その先に自分が望むものがありますか?

出来ない、望むものはないと感じたら、自分を卑下するのではなく
『祈り』を持ってください^^

全ての出来事は私に大切なことを教えてくれています。
目の前に起こる出来事に翻弄され、
大切なものを見失わないように、
気づいてゆくことの出来る私になれますように。

生きとし生けるもの、その全てにおいて私は生かされ
今ここにいます。
そのことをいつも忘れず、その想いを以ってあらゆるものに感謝し、
生きてゆく私となれますように。

盲目の人生の中で何かに気づき、私が生まれてきた目的と
使命を果たすことの出来る自分となれますように。

私に勇気と努力を与えてください。
あるがままの私を受け止めることができますように。
あるがままの全てを受け止めることができますように。
全てを信じ、生かしていくことの出来る私となれますように。

私の中にある、私の心を重くしてしまうものを見つめる勇気をください。
それを、真の信と愛に変えてゆくことができるように、
弛まず歩いていく力を与えてください。

内なる本当の自分に、心の底からの願いと祈りを。

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【 2007/02/20 (Tue) 】 心のままに | TB(0) | CM(20)

両刃の剣

以前にも、何度か記事の中でも書いているけど、
私が自分を認めることが出来るようになった
きっかけをくれた人がいます。
その人との言葉のやりとりは、ほとんどが手紙でした。
たまには、電話で話すこともあったけど♪

その人から手紙が届くときは、必ず二日前に
手紙が届く夢を見ました。
遠いところに住んでいた人なので、ちょうどその人が
ポストに投函した日に夢を見るんだよね。
なので、いつも手紙が届くことを事前に知っていました。

その人が使う便箋は、いつも大抵真っ白なものでしたが、
ある時、白い便箋っていうのはわかっているんだけど、
何度見ても紫(あるいは銀?)に見えることがあったんだよね。
どうして紫に見えるんだろう・・・と不思議に思っていたのだけど、
後からその人のオーラが紫に銀の縁取りがあるということを知って、
あぁ・・・それでかぁ・・・と納得したり。

そんな風に、その人とのやりとりの中でだけ、
不思議な現象が起こっていたんだよね。

その当時の私は、まだ自分のことが信じられず、認めることもできず、
『存在』がなんたるかもわかっていなかったので、
(今でも、すべてがわかっているわけではありません^^;)
そういう『力』に憧れていました。
そんな私に、「力を求めてはいけない。」とその人はいつも言いました。
『両刃の剣』だから・・・と。

それでも、付き合いが長くなり、私の心に変化が出た頃、
1つだけ、力を引き出すことの出来る方法を教えてもらいました。
それは、『ヒーリング』です。『ヒーリング』とは、

『心身に働きかけて生命力・自己治癒力を引き出し、
 治癒・回復を促す活動。癒し。』

と、まぁそんな風に理解してもらえればと思います。
でも、それを教えてもらってから直接その力を使ったのは、
たった一度だけ。
未だに封印してあります。
何故?

『私はまだまだ未熟だから』

心が定まっていない者が、『力』を求めるのは非常に危険です。
ここで書いている『力』は、想念が持つものだからです。
想念の持つエネルギーは、いいものでも悪いものでも
その『力』を発揮してしまうからです。
悪い波動は悪いものを自らに引き寄せてしまうからです。

今は、寝る前に祈りと共に、心を痛めている人達に
光を飛ばすことを念じることだけは、やってはいますが・・・。
果たして届いてるものかどうか、(¬、¬) アヤシイw
この人生が終わる前に、ちゃんと使える自分になれたらいいな^^

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【 2007/02/19 (Mon) 】 心のままに | TB(0) | CM(15)

出せなかった手紙3

3日目です。読んでいる人いるんかな・・・ww

私は何をしているのだろう。
雑草を生やしてしまい、取らなくちゃと思いながら放っておいて、
そこから種がこぼれてどんどん増えて、気づいた時には
手に負えないほどになっていて、どうしようかと手をこまねいて眺めている。
そうこうしている間に雑草はどんどん増えてゆく。
それを、ただただため息ついて眺めている今の私。

土に汚れながら、棘に傷つきながら、 根ごと除草をしなくちゃいけないのに。
汚れるのが嫌で、傷つくのが嫌で、疲れるのが嫌で、
何もせずただ雑草を増やしている。
そのくせ、雑草がなくなり、豊かに実った作物を夢見ている。
今に作物の芽が雑草に負けて枯れてしまう。
傷つかずに生きていく方法なんてないのに。
楽して生きる方法なんてないのに。
今の自分が決して良い状態とは言えないのに、
私はただ何もせず座っている。

逃げ出すこと、切り捨てることでしか解決できない私は、
いつまで経っても同じ場所にいて苦しんでいる。
年を経るにつれて、段々と無気力・無感動・無関心さが増えてきている。
自ら進んで何かをするということをせず、頼まれごとも極力避け、
気を(ある程度)許せる人としか付き合わず、心にぽっかりと穴を開け、
毎日をだらだらと、ただ過ごしている。

このままでは私は駄目になってしまう。
どうしてこんなに人生や自分を空しくしてしまったのだろう。
「こうでありたい自分」に押し潰されそうです。


以上です・・・。ここで手紙は中途半端なまましまってありました。
もし、全部読んでくださった方がいましたら、お疲れ様でした☆
そして、ありがとうございます<m(__)m>
以前に、10年くらい自分と向き合うことを休んでいたと
書きましたが、どうやらこの手紙を書いたあとのようです。
なので、実際は7~8年ですね。(大差ないって?w)

今思えば、この手紙の時点でちゃんと自分と向き合っているんだよね。
そして、そのあとの歳月は、自分を癒していたのかも知れません。
自分はずっと変わることが出来ず、いつまで経っても
同じことを繰り返していると思っていたけれど、実は違った。
少しずつ少しずつ、自分が気づかないくらいゆっくりと
自分は変わってきていました。

今の自分が出来ることを出来る範囲でやる。
毎日は同じように見えても、実は、『一期一会』
今、すぐに自分のなりたい自分になることは出来ません。
でも、諦めさえしなければ大丈夫☆
今の自分が変わっていっていることを確かめることは難しいけど、
ある程度歩いて、ふと振り返った時にそれがわかると思います。

私は、それをとても実感したから、この先も大丈夫と思えています。
まだまだ、なりたい自分になれてはいないけど、
ゆっくりゆっくり自分を信じて歩いていきます♪

↓ポチしてくれたら幸いです☆

【 2007/02/18 (Sun) 】 あおってこんなヤツ♪ | TB(0) | CM(15)

出せなかった手紙2

昨日の続きです。

誰かの悪口を言ったりした後は、遅かれ早かれ後悔します。
とても空しく、自分が恥ずかしく、情けなくなります。
それでもまた、性懲りもせず口にする。
どうしたら人を理解できるのか、腹を立てずに済むのか・・・。
私は不安なのかも知れない。何に?
他人の悪口を言うことで、自分のほうが勝っていると思いたいのかも知れない。
どうして?

私はただ心の対話がしたいのです。
心の在り方、生き方をとことんまで話し合いたいのです。
何故みんなそういう話を避けるのだろう?
どうして口をにごすのだろう?
私は心の対話の中から、自分の心に足りないもの、
自分の心の求めるものを見つけたいのです。

どうしてみな一人一人考え方が違ってはいけないのだろう?
何故、同じ考えでなくては外されてしまうのだろう?
心の在り方について語ることが、何故”変わってる”と思われるのだろう?
虫や動植物の命は粗末に扱えるのだろう?
この世の中はわからない事だらけ、人を理解するのはとても難しいよ・・・。
自分自身のことですらわからないのに、他の人を理解しようなんて
100万年早いのかも知れない。

例えわかったとしたって、私に一体何が出来るだろう。
自分自身でさえ余してしまう私が、何が出来るというのだろう。
私は何をしようとしているのだろうか。
こうでありたい自分と、そうではない自分。
ギャップが大き過ぎる。歯がゆくなる。
どうして、”そうではない自分”なのかがわからないから、
いつまで経っても同じことの繰り返し。

でも、結果はいつまでも同じじゃない。過ちは繰り返すたび
段々と悪い結果を生んでしまう。
自分で蒔いた悪い種から芽が出て、それに絡まれて
身動きが取れなくなってしまう。悲しいな。
他人を許すことの出来ない自分。すぐ驕り高ぶる自分。
自分の目の前の事しか見えてない自分。そんな自分が情けない。

慈愛に生きるということは難しい。
どう考えても間違ってると思えることがあって、どうしてもそれに
従わなくてはならないことがあって、自分の勇気を努力の無さを
痛感します。信頼を回復する努力より、目をつむって逃げ出すことばかり
考えてしまう。どうしてこう、怠け者なんだろう。


では、また明日w (長すぎだっつーのw

【 2007/02/17 (Sat) 】 あおってこんなヤツ♪ | TB(0) | CM(11)

出せなかった手紙

先日、引き出しの中を整理していたら、7~8年前に
ある人に宛てて書いた、書きかけの手紙が出てきました。
自分や人を信じることが出来るようになり、
前向きに生きられるようになるまでに、随分と長い間苦しんだり、
悩んだりしてきたと、ここに何度か書いていますが、
当時の私の悩みや苦しみが、そこに詳しく書かれていました^^;

お恥ずかしい内容なのですが、過去の自分と向き合うため
敢えてここに記したいと思います。
重い内容なので、読まずにここを閉じてくださっても構いません。
とても長いので、今日・明日・明後日に分けて載せたいと思います。

私の中に巣くってるものをどうしても追い出すことが出来ない。
再びそれに呑み込まれてしまう時が来る。
前に進めない、後ろへ下がることも出来ない、横道に逸れることも出来ない、
素直になれない、自分のことしか考えられない。
昔から、何度も精神科へ行こうと思った事がありました。
私はおかしいんじゃないだろうか。
精神が欠落しているのではないだろうか。
心の拠り所を求めて、パズル雑誌に没頭した時もありました。
書道に夢中になっていた時もありました。

今は何をする気力もなく、何をしていても空しい。
こうでありたいという想いや願いすら、
今の私には見出すことが出来ません。
逃げ出したくてたまらないのに、逃げ出すことが出来ない。
もし、この人生の目的が逃げる事のない自分になるということなら、
私は少し高望みし過ぎたのかも知れません・・・。
でも、そう言うことによって、自分を甘やかし、出来ないことの
言い訳にしているのかも知れません。

思えば今まで逃げてばかりの人生だったような気がします。
私がいつまでもうだうだぐじぐじしているせいで、
私も、私に直接・間接的に関わる全ての人達にも
悪影響を与えてしまっています。
私の周りは良い人達が多く、こんな私でも”その性格好きだよ”と
言ってくれる人が沢山います。
それなのに私は迷惑ばかり掛けています。

きっとみんなは気づいていない。
世間一般常識から見て、私は間違ったことをあまり言ってないと思います。
けれども、真理に照らすならば、私の言動は良くないものです。
”変わってる”の一言が怖くて、つい、自分も人も欺いてしまうことも度々です。
言わなくてもいい事ならいくらでも言うくせに、本当に伝えたいことは
何一つ言えやしない。
本を読んでいる時と、眠っている時が一番平和です。
Bedから起きるのが嫌です。朝は嫌いです。
一日の始まりはとても憂鬱です。私はわがままです。

こんな手紙を書いていること自体とても情けない事。
こんな泣き言ばかり並べて、私は一体何をどうしようというのだろう。
ずっと強気できた今年。4~5日前にふっと力が抜けました。
何故私はこんなに不満だらけでいるのだろう?
こんなに怒っているのだろう?何がそんなに嫌なのだろう?
少し前まではその答えは明確だったのに、いきなりわからなくなりました。

一つ一つを想い起こしてみても、そんなに腹を立てることも、
問題にすることもない・・・。
一番問題なのは、その一つ一つに対する私の取った言動。
人をとことんまで傷つけ、自分を通し、自分の心の未熟さを、
未熟さから来る様々な感情を全て回りの責任としていた自分。
心の中から怒りや憤りがすっと抜けて、私は抜け殻のようになりました。
どうして私が人を責められよう、人を見下げられよう、
文句など言えよう・・・情けない、情けない、情けない!!

私は余程じゃない限り本人に対して不満を言うことはありません。
でも、それを自分で処理しきれず、溜め込んでは爆発させてしまいます。
人からは、『要領が悪い』と言われます。
だけど、なるべく喧嘩はしたくないのです。
でも、不満を口にはしなくとも、態度には出てしまうので
空気は当然悪くなります。

自分さえ我慢すれば丸く収まるではいけないのだと思っていても、
他にどうしたらいいのかわからない。私は薄っぺらな人間です。
どうすればもっと前向きに生きられるのか、勇気と努力を持つことが出来るのか、
流れのない、湧くことのない水溜りのような状態で、
どんどんよどみ腐っていってしまう。
今のままでは、天に帰った時、何の言い訳も出来ません。
開き直ってしまうかも知れません。自ら地獄へと行くかも知れません。

続きは明日w

【 2007/02/16 (Fri) 】 あおってこんなヤツ♪ | TB(0) | CM(7)

頑張れと言わないで

今日はその割り吹雪かなかったのよねー・・・。
でも、今夜から明日、朝にかけて吹雪くという。
(ー'`ー;)ウーン・・・。明日は朝から遠出する予定なのです。

あ、記事は一応タイマーかけてUPしておきます☆
結構重い内容なので、気の進まない人は読まないでくださいw
日曜の夜に帰ってきます。
ご訪問&明日以降の記事へいただいたコメントについては、
帰って来てからになります(*_ _)ペコリ。


頑張れ!
という言葉は、嬉しくてありがたいものだよね。
前向きに進もうとしてる時には、本当に力になる。
誰かが後押ししてくれると助かることもある。
それで一歩を踏み出せることもある。

でも、背水の陣の場合は、背中を押されるとドボン!
と落ちてしまいかねない。
崖っぷちでようやくそのギリギリのところにいるから。
ギリギリのところに立って、食いしばってようやく踏みとどまっているから。

傍から見ると「何やってんだ。」と思われるような状態でも、
そんなに大したことじゃないじゃないと言われるようなことでも、
自分は、頑張って頑張って、物凄く頑張っていて、
それでもどうにもならなくて・・・。
めいっぱい頑張って疲れ果てて、どうしたらいいんだろう?と
途方に暮れている時に言われる『頑張れ』はひどく辛い。
「私は頑張っているよ!」「まだ頑張り足りないの?」
「もっともっと頑張らなくちゃならないの?」
と叫びたくなる。追い込まれる。追い詰められる。切なくなる・・・。

そんな状態になっている人に出会ったら、
背中を押すのではなく、そっと抱きしめてあげて欲しい。
「大丈夫だよ。いっぱい頑張ったね^^」
「無理はしないでね。」と言ってあげて欲しい。
近くにいない、または近寄れない人の場合は、
心で心を抱きしめてあげて欲しい。

私は、『こんな自分が嫌い。こんな自分じゃ駄目だ。』
って悲しくなっている時に、「頑張れ!」と言われたら、
(やっぱり私は頑張らなくちゃならない駄目な人間なんだ・・・。)
と思ってしまった時があるから・・・。
自虐的でしょ?^^; 今はそんな風に思うことはないけど、
でも、そう思えてしまう気持ちが、とても良くわかるのです。
みんながみんな、そうではないとは思うけどw

そして今、自分がそんな状態にあるなら、
自分の心を抱きしめてあげて。
頑張っている自分を認めてあげて。
『こんな自分じゃ駄目だ。』と想うことの出来るその心を
信じてあげて。
そこが最初の大切な大切な、一歩になるから☆

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【 2007/02/15 (Thu) 】 心のままに | TB(0) | CM(18)

流氷♪

さっむーーーーーっ!!!
今朝、4時には気温-20℃以下。
9時でも-16℃でした。
会社まで歩いたのが、昨日でよかった・・・。

でも、北海道はどうやら、今夜から明後日にかけて
大荒れの天気となるようです。
すでに、風がかなり強くなってきています( ;´Д`)
明日の朝、車出せるのだろうか・・・。
雪に埋まっているかも知れない・・・(涙)。
吹雪の中歩いて出社は、かなり辛いなぁ(>_<)
遭難しませんように・・・w

「流氷がびっちり接岸してるよ。」と聞いたので、
今日、プチ出張のついでに写メを撮ってこようと思ってたんだけど、
あいにく昼間は、-2℃と暖かくなったので、
流氷は、遥か水平線上にしか見ることが出来ませんでした。
なので、以前に撮ったものをUPしますので、
流氷ってこんななのねぇ~、と見てください♪

20070214191052.jpg

この流氷って、北風と共にやってきて、南風と共に去ります。
一日に何キロも移動する流氷は、朝見えたと思っても
お昼頃には、水平線の彼方まで後退してしまうなんてことは
しょっちゅうです。
そして、豊富なプランクトンも一緒に連れてきてくれるのですよね^^
それがまた、ここに住む魚たちを育てます。
自然って偉大だよねぇ♪

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【 2007/02/14 (Wed) 】 日記 | TB(0) | CM(30)

劣っていたって輝けるさ!

今朝ねー、車のキーがどうしても回らなくて、
歩いて会社行った・・・。手袋もないのに・・・(涙)。
ハンドルロックもされていない、スターターでエンジンは
かけてあった。なのにっ!キーが回らない・・・。
会社に着いてから、ディーラーに電話をして見てもらった。
「一回で回りましたよ。」
ェェエェェエェエェ∑(´□`ノ)ノエェェエェェエ!!!
なんでだ。どうしてだ。納得いかない・・・。( ̄- ̄メ)チッ・・・。

いかに、あれこれ試行錯誤してみてもかからなかったことを
説明したんだけど・・・。
「なんか悔しい・・・。」とボソッと言ったら笑われてしまいました^^;
ヽ(´ー`)ノ ふぅ~・・・。明日の朝は大丈夫でありますように。

私は運動音痴ですw
スポーツ全般まったく駄目ですw
運動神経というものを、この世に出てくる時に
きっと置き忘れてきたんだ・・・と思うほど駄目ですw
そんな私は、運動会というものが大嫌いでした。

小学校6年間のうち、胸につけてくれるリボンなんてものを
もらったことは、ほとんどありません( ;´Д`)
ひたすら人の背中を見て走るのみw
あ、ドッジボールで逃げるのだけは得意でした♪(苦笑)

ただでさえ、走るのが苦手なのに、板みたいなものをつけて
陸上スキーみたいな?感じでやる競争がありました。
ほんとトロくさくてさー^^; 一番ビリなのは当然なんだけど、
ちょうど父兄観客席の前のド真ん中当たりに差し掛かった時に
見事にすっ転びまして・・・恥ずかしいやら、痛いやら・・・。

でも、やっと起き上がった時、観客席から、
「頑張れーーーっ!」「負けるなーっ!」
という声が聞こえ、その声援は段々増えていきました。
全然知らない人達なのに、私はびっくりして、でも
とっても嬉しくなって、また歩き出しました。
「そうだ!頑張れーっ!」「えらいぞーっ!」の声と共に
みんなが拍手をしてくれています。
私は泣きそうになりました。出来るだけの力を振り絞って
ゴールを目指しました。

ゴールしてビリだったのにも拘らず、私はとても嬉しかった。
自分は頑張った!って思えて誇らしかった。
それは、応援してくれた人達の温かい心のお陰だと思います。

人と比べて、出来る、出来ないは関係ないんだ。
今の自分が出来る精一杯のことをすることに価値があるんだ。
今の自分が、人よりも劣るところがあったとしたら、
そんなことは気にせずに、一生懸命頑張ればいい。
それが自分を輝かせることになる。
ビリでも精一杯頑張った自分が、とても誇らしく思えたから。

出来なくても、一生懸命頑張っている人を見たら
心から応援してあげたい。そう思います。
遠い昔のあの声援が嬉しかったから、温かい心が
とても嬉しかったから^^

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【 2007/02/13 (Tue) 】 心のままに | TB(0) | CM(24)

農業の経験から思う

私は農業を営んでいたことがあります。
農繁期ともなると、朝の4時から夜は10時くらいまで
毎日びっちり働いていました。
最初は、20キロのコンテナが持てなくてねー^^;
数年の後には、一袋20キロの肥料を200本トラックの荷台に
積むなんて作業も一人でするようになりましたが(笑)
もちろん、ダンプもトラクターもリフトも運転しましたよ♪

北海道の畑は広いです。
私が従事していたところでは、こちらの農業としては少ないほうで
12ヘクタールほどの面積でした。
坪に換算すると、36000坪くらいでしょうか。
そんな広い畑の真ん中で携帯ラジオから流れる音楽を
聴きながら、一人草取りをしていたものですw

その時ほど、自然の恩恵に心から有り難味を感じ、
または、一瞬で農作物が駄目になってしまう自然の恐ろしさを
感じたことはないかも知れません。
今は、事務職ですし、雨が降ろうが雪が降ろうが、
あまり影響のないところで仕事をしていますが^^;

作っていたものは、食用馬鈴薯(メイクィーン)、澱原用馬鈴薯、
ビート(甜菜=砂糖の原料)、たまねぎ、人参、アスパラ、小麦です。
面積が広いため、量も半端じゃありません。
例えば、たまねぎは3ヘクタールの面積に作っていましたが、
10a当たり6トンほど収穫することが出来ます。
10a×10=1ヘクタールですから、たまねぎだけでも
180トンくらいの収量となります。想像つかないですか?(笑)

農薬も良く使っていました。面積が広いため、スプレヤ-という
機械をトラクターに取り付けて散布します。
農薬を散布する時には、防除マスクの使用を義務づけられています。
うっかり吸い込んでしまい、顔が腫れ上がってしまったこともある。
農薬を使わなければならない人も命がけです。

何故、農薬を使わなければならないのか・・・。
そこには色々な要因が見えます。
北海道の農業は大規模過ぎます。
数人の手で雑草を抜き取ることは不可能です。
雑草は逞しく、一本でも残すとそこから沢山の種がこぼれて
次の年には大量にそこに芽を出すことになります。
そして、それらは作物の成長を阻むこととなります。
なので、除草剤が使用される・・・という結果になる。

何故、大規模じゃないといけないのか?
食べていけないからです。
安い輸入品が多く市場に出回っている今日。
コストを下げるために、野菜の大量生産が行われる。
そのために、畑の面積を増やし、機械を導入し、
安い化学肥料の投入、人の手の回らないところは農薬に頼る。

害虫と呼ばれる虫達は、(本当は害虫なんかじゃないけど)
ただただやられていません。どんどん強くなる。
それに合わせて(?)農薬もどんどん強くしていく。
堂々巡りですよね・・・(哀)

それと、病気に対する予防のための消毒薬。
消費者は、曲がったきゅうりよりも真っ直ぐなきゅうりを選びます。
私が従事していた農業の町のJAでは、
ソウカ病と呼ばれる皮膚の表面に出来る病気のじゃがいもを持って
東京へ行ってきたことがあります。
皮をむけば何ともないのです。味にも変わりはありません。
それを街頭で訴えましたが、受け入れてはもらえなかったようです。

農薬漬けの綺麗な野菜と、見た目は悪いけど
農薬を使っていない野菜と、どちらを選びますか?
ある人が言ってました。
「小さな虫が食べて何ともない野菜は、安心して食べられる。」と。
本当にその通りだと思います。
私たちは小さな虫ではないけれど、その虫が食べたら死んでしまう野菜を
いつも食べているのです。

農薬を使っていても、収穫した野菜の中から形や傷、
色々なものを取り除き、市場に出回るのはその野菜にもよりますが、
半分以下なのです。
収穫したものが全て市場に出ているわけではないのです。
農薬を使わなければ、1割も市場に出すものは出来ないと思います。

そして、「低農薬」と謳われているものは、10回の散布を
8回にしただけのものが多いということをご存知でしょうか?
「有機栽培」も然り。化学肥料を大量に使用していても、
堆肥を入れれば、「有機栽培」として売ることが出来るのです。
そういうことは良くないことです。でも、そうしなければ
生活をしていけないこともまた事実なのです。

ただ、何も考えずに安いものに飛びつくことは正しいことでしょうか・・・。
もっと、根本的なところが間違っているのではないでしょうか・・・。
今のこの現状を、今すぐどうこうすることは出来ないと思います。
でも、一人一人がもっと事実を知り、これからどうしていけばいいのか
考えてみる必要はあるんじゃないかなと思います。

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【 2007/02/12 (Mon) 】 心のままに | TB(0) | CM(20)

自分の中の闇

(´ヘ`;)ハァ・・・。
かなり自分では心の中の闇から抜け出したつもりで
いたのだけど、どうやらまだまだだったようですw
昨日、いきなりそこに落ちそうになった。
あぁ・・・やばいなぁ・・・と思ったんだけど、
昨日いただいたタコさんからのコメントで思いがけず
浮上することが出来ました。

この方は、無意識だったのかも知れない。
でも、『心を抱きしめる』ということをわかっている人だと
しみじみ思いました。
当の本人は、(゜∇゜ ;)エッ!?とか言うかも知れないw
でも私は、確かに心を抱きしめられたのを感じた。
本当にありがとうございました^^
つーか、勝手に記事にしちゃってごめんよ^^;

私は無意識のうちに、自分の中にある闇を
追い出そうとしていたようです。
それじゃあかんわなぁ・・・^^;
丸ごと抱きしめるんだよと言ってる本人がこれだもんねw
ゴメンナサイ・・・汗w

ずっと前に自分が書いた記事を思い出した。
『陰がなくちゃお日様の有り難味はわからない』
全てを含んだ自分。
そこから見つけたものは、本当に輝けるもの。
追い出しちゃあかんがなw

認めよう。抱きしめよう。
追い出そうとしてごめんね。
良かった気づけて。
心が癒されていく・・・。

このところ、なーんかイマイチで調子が悪かったんだけど
このせいだったんだなぁ・・・。
そういう時って、なんていうんだろう?
自分の中に漠然とした『違和感』を感じているのよね。
何かが違う・・・でも何だろう??って。
何かがピンと来ないんだよね。

まぁ、今回これに関しては気づけてすっきりしたんだけど、
まだまだ私の中にはたくさんの『違和感』があるんだよね。
ということはだ!まだまだ私は気づかなくてはならないことが
山ほどあるっていうことw
毎日想いを言葉にして、自分を見つめては反省してるつもりだけど、
ヽ(´ー`)ノ ふぅ~・・・。先はまだまだ遠いなぁ。
日々色んなことを書いてはいるけど、
まだまだこんなもんじゃないことだけは、はっきりとわかる。

焦らずゆっくり歩いていこーっと♪
未熟者ゆえに、この道を歩んでいるんだもんね☆

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【 2007/02/11 (Sun) 】 心のままに | TB(0) | CM(20)

一緒に登ろう♪

人生って山登りのようなものかも知れません。
頂も見えないような高い高い山を登っていく。

足場の悪い岩場もある。
うっかり足を踏み外すと落ちてしまう谷底もある。
登るのには、長い時がかかるけど、落ちる時は一瞬。
だから、しっかりと自分の足元を見つめて、確かめながら登らなくちゃ。

必死で乗り越えたら、ちょっと平らな場所に出て、
高山植物が迎えてくれていることもある。
鳥たちが、綺麗なさえずりを聞かせてくれることもある。
心を癒してくれる花や鳥達への感謝の心をパワーに変えて、
また頑張ろう!と歩き出す。
でも、そこも通り過ぎてしまうと、また足場の悪いところに出る。
そんなことを繰り返しながら、一歩一歩登っていく。

時には、嵐に遭うかも知れない。
風が強くて立っていられなくなる。
霧に巻き込まれてしまうこともあるかも知れない。
自分が今どこにいるのかさえ、見えなくなってしまう。

そういう時は、自分が冷えてしまわないようにじっと自分を温めながら、
嵐が去るのを、霧が晴れるのを待つしかない。
下手に歩くと、必要以上に体力や気力を消耗したり、
道に迷ったり、崖から転落してしまうかも知れないから。
必ず嵐や霧は去り、太陽が暖かい光で照らしてくれる。
嵐が来ても、霧が出ても、雲の上にはいつだって
太陽は輝いているんだ^^

足を取られて転ぶことも何度もあるだろうなぁ。
でも、何度も転んだら受け身も覚える。
滑りやすいところは、こういう風に歩けばいいんだなとかって
足場によって、歩く方法も色々と覚えることが出来る。
嵐や霧にも段々対処できるようになる。
そうやって経験を積んで、その経験を自分の智慧としながら
一歩一歩登っていく。

そして、この山は自分一人で登っているのではなく、
たくさんの仲間たちと一緒に登っているんだよね。
それぞれ違う道を登ってきた者同士が出会う。
それぞれの道で培ってきた智慧を出し合いながら語り合い、
それによって、お互いの智慧を増やし広げていく。
ある者はまた別の道へと行き、ある者は共に登っていく。

多くの人達と出会いと別れを繰り返しながらも、
出会った人達と、互いに手を取り合い、声を掛け合い、
嵐や霧の時は、お互いに温めあい、励まし合い、
助け合いながらそれぞれ自らの道を登っていく。

いいねぇ^^ そんな風に一歩一歩登って行きたいものです♪
きっと頂上からの眺めは、素晴らしいよ!
そして、それまでの経験と頑張ったことは、全部自分の力になる。
今は頂上が見えなくても、登ることさえ諦めなければ
いつかは必ず立つことが出来るんだ。
だから、一緒にこの山を登ろうよ^^

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【 2007/02/10 (Sat) 】 心のままに | TB(0) | CM(14)

盲目の人生

魂としての段階が進んでいる人は、導くことを目的として
生まれてくる場合もあります。
ただ、いかに段階が進んでいる魂であっても、
人として生まれたからには、みな平等です。
いつ、正しい心の尺度が捻じ曲がってしまうとも知れません。
ルシフェルは、それを修正しようと何度もこの世に出ましたが、
その才に溺れ、才を持つゆえにサタンとなってしまいました。
大天使(如来)であっても、この世に生まれてきたときには
盲目になってしまうのです。

正しい尺度を持ち、それを世に伝えようとする人は、
そこに溺れないよう気をつけなくてはなりません。
もう一つ、段階に応じた指導を心がけることの大切さ。
段階が進んでいる人は、前の段階の心を知ることができます。
でも、今の世の中をみていると、今の段階のままの心で
その前の段階の人をはかったり裁いたりしていることが
多いように感じます。

今の自分が出来ることが出来ない人を蔑む。
かつて自分も出来なかった時があったにも拘らず。
子供を叱る時には、子供の目線で叱りなさい。
上から物を言うのではなく、子供の心を理解して諭す。
かつて子供だった時代がある自分だからこそ出来ること。
そこを忘れてしまっている人が多いように感じます。

でも、先ほども書いたように、どんなに段階の進んでいる魂であっても、
人という肉体をまとったからには、盲目の人生を歩むことになります。
様々な経験において、何を見つめ、何を求め、どう生きていくか。
肉体をまとった魂は弱いものです。
まして、自分だけのものではない業の中(悲しみの連鎖)に置かれたときは、
尚更、真実を見極めることは困難となります。
目の前の出来事に翻弄され、流され、大切なことを見出せません。
いかにこの世が厳しい場であるかを思います。

今、この世に生まれてきて人生を歩んでいる人は、
みなそれぞれの段階に応じた人生を自ら選び、一段上を目指して、
それぞれが持つ使命と、目標を持って生まれてきたのです。
どんなに理不尽と思える人であっても、それは同じです。
生まれ出る前には、その魂の向上と使命としての調和を
心から願っていたはずです。
ただ、自分を見失っているだけなのです。
今、ここに存在している肉としての自分こそが、
本当の自分だと思っているのです。

ですから、様々な理不尽と思える出来事やそれを行う人を
恨んだり、蔑んだり、攻撃することは自らの本然に添っていないことです。
今、自分が見下している人が、実際はずっと魂としての段階が
自分より上であることも十分有り得ます。
それはルシフェルのことを例にとっても、容易にわかることです。

そんな私も、ずっと人を見下していました。
そんな自分から解放されたくて、随分悩んだり苦しんだりしました。
ようやく見つけることが出来て、私は自分が何度も口にしていた
『信じる』ということを、心の底から理解することが出来ました。
正しい尺度は、人を測るためにあるのではありません。
生かすためにあるのだということに気づきました。
生かすためには、『信じること』が不可欠だと思います。

心から信じるならば、悲しむことはありません。
『ありのまま』の自分を人を、信じて温かい心で抱きしめよう。
そう気づいたことが、とてもとても大切だと思うから、
みんなにも伝えたいと思います^^

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【 2007/02/09 (Fri) 】 心のままに | TB(0) | CM(16)

歩いていくために

よく、反省しすぎると自分を小さくしてしまうということを聞いたりします。
でも、それって反省そのものの意味を取り違えてるんじゃないかなって思う。
何度も書いているけれど、大切なことだと思うから何度でも書きますw
反省は何のためにするのか。

反省とはただ、いたずらに自分を責めることではないし、
自分が間違っていた、悪かったと認めるということでもない。
反省とは、自分を小さくすることではないと思います。
反省とは、自分を広げていくためにするものなんじゃないのかな。

どの部分が間違っていて、どうして間違えたのか。
次に間違えないようにするにはどうしたらいいのか。
自分はどうしたいと思っているのか。
何故、そうしたいと思うのか。
そこを見つめていかないと反省にはならないと思います。

そして、反省をするときに一番大事なこと。
『今現在そうじゃない』けれど、『こうありたいと思う自分』を信じること。
信じて、愛情を以って自分自身を見つめること。
『勇気』を持つこと。

反省しなくちゃならない点がたくさんあるって悪いことじゃない。
それだけ自分がいっぱい成長できる可能性があるってことだと思う^^
大切なのは、気づいたことをこれからどうしていくか。
それを見つめていくことが、『反省』なのだと思います。

「自分は間違っていた、悪かった、なんて駄目な人間なんだ。」
こんなことを思って自分を責めるだけでは、次に繋がるものはありません。
『反省』とは、見つめて気づいたことを生かしていくためにするもの。
前に進むためにするものだと思います。
焦ることなく、ゆっくりと一歩ずつ、自分を信じて歩いていこう^^

遥かなる彼方に
私たちがめざす場所がある。
果てしない地平まで
私たちの道は続く。

大願を抱く―。
それが歩みの始まりである。

困難な願いでも
儚い希望でも
それを心に抱くことから
すべては動き出すのである。

自らの光を信じて
大いなる願いを刻む
出発のときを迎えよう。

              
 by 高橋佳子

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【 2007/02/08 (Thu) 】 心のままに | TB(0) | CM(24)

心の段階を経て

愛にも優しさにも強さにも心の段階というものが
あるように感じています。
そして、その段階に応じた生き方があり、困難があり、
少しずつ少しずつ、それらを深めていく。
そう言った意味でも、人生は本当にうまく出来ていると思います。

だから、今何かが出来ないと思う自分を悲観することはないんだよ。
いつかきっと成せる時が来るからです。
目に見える結果として、何も成せないこともあると思います。
でも、見えないところで確実に何かを成しています。
ただ何もしないでいては、もちろんその時は来ません。
何をするか?
自分を大切にし、自分と向き合っていくことです。
今の自分が出来ることに心を尽くしていくことです。

自分を大切にし、向き合っていくとその過程において
様々な自分の心の間違いに気づく。
魂の修正は、気づいたときから始まると言われています。
目に見えぬところで、それと気づかないくらいゆっくりゆっくり。

魂としての段階が進んでいる人ほど、困難な人生を
選び生まれてくることが多いと言われています。
そこから何かを学びとるために、自らがそういった人生を選ぶのです。
困難な人生には、『何故?』が多いからです。
『何故?』を求める心は、いつか大切なことに気づきます。

そして、気づくことは大切ですが、気づいただけでは
それを本当に自分のものとすることは出来ません。
気づいたことを大切にしていないと、すぐ元の状態に戻ってしまいます。
或いは、気づいたことをきっかけとして、困難に遭ったりすると
せっかく気づいたことを否定してしまったりすることもあります。
下手をすると、そこから闇への道が出来てしまうことすらあります。
気づいたことを信念としてゆくことの大切さを想います。

昨日書いた『悲しみの連鎖』は、この世の中のそこら中に
見ることができます。
今、その『悲しみの連鎖』に巻き込まれ、心がちぎれそうな想いを
している人は、その流れを断ち切る使命を持っている可能性が
高いと言えると思います。
何故なら、哀しい心を救うためには、その心がどんなものであるかを
知らなくてはならないからです。

経験から出る言葉には重みがあります。
それは、自分の奥底にある本当の心からでるものだから。
身を以って経験することによって、その辛さを理解することができるようになる。
そして、こんな想いは自分だけで沢山だ!と思う人も多いでしょう。
その想いを大切にしてください^^
その想いは、哀しい心を持った多くの人を救うことができるから。
口先だけじゃなく、本当の心の言葉で語ることができるから。

だからどうか、強さを持ってください。勇気を持ってください。
自分の心の奥底にある光を信じてください。
自分は必要だから、今ここに生きているのだから。
その強さと勇気は、この哀しい世の中を変えて行く道を
作っていくことが出来るのだから。

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【 2007/02/07 (Wed) 】 心のままに | TB(0) | CM(16)

悲しみの連鎖

人は魂だけの繋がりだけではなく、肉体においての繋がりというものも
あります。それが先祖です。
その家々で、家風や家訓や色々なものがあります。
悪い流れをそのまま受け継いできてしまっていることも
多くあると思います。

そんな流れの中で、今、自分はとても傷ついているかも知れません。
でも、親も親戚もその流れの中で生きてきて、知らず知らずのうちに
その流れを身につけてしまっているのですよね。
辛いことから目を背け、自分を見つめようとしない限り
その流れの中から脱出することは出来ません。
そして、次々とみんながその流れの中に巻き込まれてしまいます。
悲しみの連鎖です。

こんなことはおかしいと感じながらも、そうせざるを得ない人は
とてもとても哀しい心を持っています。
気づいていながらその流れに逆らう勇気を持つことができないからです。
そしてもっと哀しい心を持っている人は、流れの中に
巻き込まれていることすらも、気づいていない人です。
何故?を求めることなく、その流れを自分のものとして生きてしまっている。
完全に本来の自分を見失っている状態です。

ですから、その心が安らぐことはありません。
人を傷つけるということは、自分の心も傷つけているからです。
自他を分けてしまうことしか出来ない人の心はとても哀しい。
暴言や暴力を振るう人の心に平穏はないんだよね。
そんな哀しみの中に自分の心を置いてしまっていることすら気づけない。
そういう人の心こそ、救われなくてはならないのではないかと思います。
そういう心の人が救われない限り、哀しい心である限り、
悲しみの連鎖は止まることを知らないからです。

だから、もしかしたら自分は、そういうものをここで終わらせるために
今の環境に生まれてきたのかも知れません。
神様は、乗り越えることの出来ない試練は与えることはありません。
あなたなら大丈夫、乗り越えて自分の使命を果たすことができると
信じているからこそ、今の試練を受けるためにこの世に送り出したのでしょう。

今日書いた話は、誰にでも当てはまることではないと思うけど、
ちょっと視点を変えてみたら、そこが学校であったり、職場であったり、
色んな場で同じことが起きているのに気づくでしょう。

私は自分の経験を通して、人が背負っている心の哀しみを知りました。
私の父も祖母も、そんな哀しい心の持ち主だったのです。
やるせない想いが、言葉や力での暴力となったのでしょう。
だから、私は父も祖母も恨むことも憎むことも出来ません。
自分自身も、こうありたい自分になれなくて悩みました。
こうしたいんじゃないのに、こうしてしまう自分に苦しみました。
そして、それは私だけじゃないのだと気づきました。

また、こうありたいという心すら持つことが出来ない、
自分の本来の心に気づけてない人もいます。
その人の心はどれだけ苦しいことでしょう。
怒りや蔑み、闘争の中に置かれた心は安らぎとは無縁です。
そういった状態の時は、心に響くことすらも否定してしまいます。
でも、その奥にはその人が持つ本来の心があるのです。

ありのままを受け入れるということは、自分に対しても
自分以外の人に対しても同じです。
苦しみも哀しみも含めたその人本来の心を抱きしめること。
そういう想いが、悲しみの連鎖を断ち切るものと思います。

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【 2007/02/06 (Tue) 】 心のままに | TB(0) | CM(11)

ありのままを受け入れる

昨日、一昨日とあまり良い思い出とはいえないものを
書いてきましたが、今の私はそんな過去に感謝しているのです^^
何故なら、そういう経験があるからこそ、今の自分があるから。
自分と向き合わざるを得なかったからこそ、本当の意味で
自分を受け入れること、信じること、そして好きになることが出来たから。
人と人との繋がりがこんなにも、大切なものだと知ることが出来たから。

本当の意味で自分を信じるということは、
自分の嫌なところ、醜いところ、全部を受け入れるということ。
そういうものを超えたところに、『存在としての自分』を
見つけるということです。

ここに今、自分が存在しているってすごいことなんだよ☆
世界中の人が自分を否定したって、今自分はここにいる。
確かにここで息をしている、生きてるんだ。
人がどう言おうと、世間がどう言おうと、
そんなものを遥かに超えたところで、自分は『生かされてる』

感じてみて。
太陽を風を雨を水を空を星をそして宇宙を。
木を花を大地を海を山を地球を。
そのどこかに自分の存在を否定するものを感じる?
そのままの自分を自然はちゃんと受け入れてくれてる。
太陽は誰にだって、平等に光を与えてくれる。
何よりもこの世界そのものが、自分を受け入れてくれてるよ。

私は拒絶されるのが怖くて怖くて、人を信じることが出来なかった。
そんな私は、遠い過去に二回だけ自傷している。
一回は、左手の人差し指(今でも指紋がずれてるw)。
もう一回は左手首。
このくらいの回数で済んだのは、私が自然と心を通わせていたからだと思う。
いつだって、自然は私を受け入れてくれた。
風や雨や空や星や花と会話をしていた。
会話といってもそこに交わす言葉はなく、ただただ心を通わせるだけ。
自然はいつも私の心を優しく包んでくれた。
空を見上げてみよう。風を感じてみよう。

人が生み出してしまった哀しい心。
そういう心に捉われて、自分を見失うことないんだよ。
自分のことを傷つけようとする人の心もまた、そういうものに捉われて
いっぱい傷ついて、自分を見失っていたのだと今はわかる。
だから今、私は誰のことも恨んでないよ。憎んでないよ。
人の心は弱いもの。だから自分のことを傷つける人を
いつか赦してあげれるといいね^^
それが出来た時、本当に自分の心が軽くなるよ。

でも、とっても時間がかかる。
今、渦中にいる人は「そんなこと出来っこないよ!」と思うかも知れない。
今はそう思ってていいよ。でも、あおっていう変な人が(笑)
こんなこと言ってたなぁ・・・って、いつか思い出してくれたら嬉しい☆

焦らないで、肩の力を抜いて、諦めないで。
今の苦しみゆえに、大切なことを知ることが出来るから。
そして、それは自分にとって大きな力となるから。
ゆっくりゆっくり歩いていこう。
自分は、この世界にたった一人しかいない
かけがえのない存在なのだから^^

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【 2007/02/05 (Mon) 】 心のままに | TB(0) | CM(15)

戻ってきた記憶

今日、閉じ込めてしまっている記憶が少しずつ思い出されてきた。
辛くて辛くて泣いてばかりいた中学の頃。
もう泣くのは嫌だ。こんな辛いのは嫌だ。
その辛さから逃げ出したくて、感情を押し殺した。
何も感じなければいい。そうすれば辛くなくなると思った。

高校生になって、そこにいたのは笑うことも泣くことも
出来なくなってしまった自分。
殴られることをわかっていながら、殴られるために父の前へと
自分から行ってた。嫌なことは早く済ませてしまおうと思ってた。
殴られてもなんとも思わなかった。痛みすら感じなかった。
抵抗もしなかった。泣きもしなかった。
そのことが、余計に父の暴力を増長させた。
泣いてやめて!と叫んでも、ごめんなさいと謝っても
無駄だということは知っていた。
ただ、時の経つのを待っていた。
父が疲れて殴ることを止めるのを待っていた。

怒りもなかった。悲しみもなかった。ただただ虚しいだけ。
学校では笑っていた。でも、笑うフリをしていただけだった。
心が停止してしまっていた。
朝が来なければいいと思っていた。
眠ったまま目が覚めなければいいと願っていた。
言葉では言い表すことの出来ない苦しみの中にいた。
泣いてばかりいた日のほうがずっとずっと楽だった。
何かがつっかえているような何とも言えないあの感じ。
その頃の心の状態が今、リアルに甦ってくる。

やばい・・・呑み込まれそうだ。
ちくしょう、負けてたまるか。
遠い昔のことなのに、心臓の鼓動が速くなる。
大丈夫。私は大丈夫だ。

どうしして『そのまま』の私じゃいけないんだろう?
どうして『そのまま』の自分を受け入れてもらえないのだろう?
私が私であることは、いけないことなのだろうか。
私は私であることを放棄して、違う人間にならなくてはならないのだろうか。
たった一人でいいから、「そのままでいいよ。そのままでいいんだよ。」
と言って欲しかった。
それが辛かったから、とてもとても辛かったから。
私は、『そのまま』を受け止める人となりたい。
こんな経験を持つ私だから、出来ることがある。

あの頃の私へ、そして今自分の心が泣いている人へ。

そんなに頑張らなくてもいいよ。
無理はしなくていいんだよ。
泣きたい時は、思いっきり泣こうよ。
悔しい時は、思いっきり怒っていいんだよ。
心を閉じ込めないで。
押さえつけてしまわないで。
ほら、自分の心が苦しいって言ってるよ。
辛いよって叫んでいるよ。
大丈夫。そのままのあなたでいいんだよ^^

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【 2007/02/04 (Sun) 】 心のままに | TB(0) | CM(13)

こんな私でも

私は自分のことを信じてる、大好き!と良く言うけど、
最初からそう思っていたわけじゃありません。
そう思えるようになるまでには、かなり苦しみました^^;
そして、長い長い年月も必要としました。

小さい頃から自分の存在を疎ましく思われ、
否定されていた私は、他の人よりもっと多くの時間を
必要としたかも知れません。
『見ているだけで腹が立つ。』と言われ続け育った私が、
自分の存在が必要なものだと思えないのも当然でした。

祖母は弟だけを可愛がり、弟が間違っていても
私を叱り付けました。
弟が悪いのに、何故私が怒られなくちゃならないと言うと、
姉だから当然と言われました。
その仕組みを弟は良く使っていて、自分が不利になりそうに
なると、決まって祖母に言いつけに行きました。

そして私は叱られる、掃除機の柄や鉄の棒で叩かれる。
弟はそんな祖母の後ろに隠れて、私にあっかんべーを
していた・・・。
私は弟のことを憎んでいたことを思い出した。
そう、自分が悪いことを知りながら、私に適わないと思うと
自分を溺愛している祖母を利用し、私に仕返しをする。
そのずるがしこさが大嫌いだった。

食べるもの、着るものすべてにおいて、差をつけられ、
沢山のおもちゃを持つ弟とは違い、私はお人形一つ
買ってもらえることはありませんでした。
いつも同じ服を着ていると同級生に馬鹿にされてました。
風邪をひいて熱が出ても、ただ布団にうずくまってるしか
ありませんでした。
小さい頃から物の道理を口にして反抗した私は、
余計に祖母の怒りをかっていました。

そんな実家から出て、次に飛び込んだ環境は
実家よりも更に、存在を認めてもらえないところでした。
私のすること成すこと、一から十まで気に入らないと言われ、
私は私に別人になれと言うのか?と何度言ったか知れません。
私は奴隷じゃない、人間なんだ!と何度叫んだか知れません。
言葉を返そうものなら、
「片親で育った人間は精神的にかたわなのだから、
普通に育った人間の言うことを黙って聞いていればいい。」
と言われました。

そんな私が安らげたのは、違う世界へと連れて行ってくれる本と
眠りについている時間でした。
そんな時間は、私を孤独から救ってくれました。
本をたくさん読んでいたのは、もちろん好きだからだけど、
そういう背景もあったのです。

今、自分のことを認めることが出来なくて苦しんでいる人へ。
こんな私でも、自分を認めることが出来た。
心から好きになることが出来たよ。
とってもとっても時間はかかったけど。
だから諦めないでね。必要じゃない人なんていないんだよ。
私は自分が必要な存在なんだと思えるようになりたかった。
自分の存在の理由を知りたかった。
その想いだけで、ここまで生きてきたのです。

まだ、父からの虐待という自分が閉じ込めてしまっている
記憶も思い出せないままですが、思い出したとしても
今の私は自分を嫌いになったりはしないでしょう。
どんな過去も受け止めて、今の自分の糧としていくことが出来る。
愛に飢えた人ほど、深い愛を持てるようになるよ。
いっぱい傷ついた人ほど、傷ついてる人の心がわかるよ。
今の辛さは、いつかきっと自分の力になるよ。
だから、ゆっくりゆっくり共に頑張ろうね^^

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【 2007/02/03 (Sat) 】 心のままに | TB(0) | CM(16)

スローペースだけど☆

記事の中で何度も書いていますが、
私は過去に友人から『心の在り方』というものを教えてもらいました。
それから10年以上経って、今ようやく教えてもらったことの一部を
自分の言葉として伝えることが出来るようになったんです。
ほんと、とってもスローですよね^^;

教えてもらっていた時は、とても焦っていたのです。
どうしてこうありたい自分じゃないのだろう?
どうしてこうありたい自分になれないのだろう?
情けない。自分は駄目な人間だ。
今思えば、ちゃんと自分のことを信じてあげられてなかったからなんだよね。
そして、昨日も書いた高橋佳子さんの本に出会って、
色んな知識を身につけて、そんな中で色んなことを考えていた。

そんな時に、友人から
「あなたは、佳子さんの本を読んで知ったつもりになっている。」
と言われたのです。
言われた時は、そんなことない、ちゃんと私は理解していると
思っていたのですが、振り返ると実は全然わかっちゃいなかったw
そんなことも、きっちり見抜かれていたのです^^;
だから、『鵜呑みにしない。わかったつもりにならない。』
ことが大事だよと言うのです。

そして、「どうしてあなたはそんなに焦っているの?焦る必要はないのよ。
もっと肩の力を抜いてリラックスしなさいな。」とも良く言われたものです。
それでも焦って肩に力が入ってしまい、教えられたことを自分のものに
するまでに長い年月がかかってしまった経験があるから、
『焦ることないよ。ゆっくりでいいよ。』と、いつも言うのです。

焦ると肩に力が入ってしまう、肩に力が入ってしまうと
『ありのままの自分』でいられない。『ありのままの自分』じゃないと、
『あるがまま』が見えない。
それがわかったから、『そのままでいいんだよ。』と言うのです。

だけど、今こうしてそういうことを心から伝えられるようになったのは、
焦って肩に力を入れすぎたり、自分を責めたり蔑んだりして
失敗したなぁ、随分遠回りしちゃったなぁと思える経験が
あったからこそなんだよね。
やっぱり無駄な経験や失敗はないと、シミジミ思うw

ここで良く書いていることは、今の私に至るまでの
反省から出たものが多いのです。
そして、同じ間違いを繰り返さないように、
自らにもう一度問いかけ、心に刻むことも目的としています。

日々の生活の中でも、まだまだわからないことだらけ。
どうしたらいいんだろう?と悩むこともしょっちゅうです^^;
後から、あれで良かったのだろうか?と考えることも多い。
でも、いつまでもぐだぐだと考えていても仕方がない!
今の自分に出来ることには限界がある。
今の自分が出来ることを精一杯やったんだからそれでいいよね。
という想いに、いつも行き着きます。

迷ったり間違えたりして、ほんとスローペースな私だけど、
その全てが今の私の糧になっている♪
これからもそうやって、ゆっくりゆっくり歩いていきます^^

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【 2007/02/02 (Fri) 】 あおってこんなヤツ♪ | TB(0) | CM(14)

オリジナルを育てよう♪

私は小さい頃から本が大好きで、本当に色んな本を読みました。
学生の頃は、年間200冊くらい読んでいたほど本の虫でしたw
高校生の時に、先輩からもらった『二十歳の原点』という本を
読んでショックを受けてからは、
色んな『心に関する本』を
読み漁るようになりました。
要するに、『知識』の収集です。

フロイトも読みました。聖書も読みました。
空海も読みました。お釈迦様に関する本も読みました。
哲学を優しく教えている『ソフィーの世界』も読みました。
特に感銘を受けたのは、マザーテレサと宮沢賢治かな。
そして、自分の間違いに気づかせてくれたのが、
過去において色んなことを教えてくれた友人であり、
その友人から教えてもらった高橋佳子さんの本です。

そんな中で、得たものもたくさんたくさんありました。
今は、『知識』を収集することからは離れています。
その収集の過程の中から、大切なことは自分と遠く離れたところに
あるのではないと気づかせてもらえたから。

自分にとって本当に大切なものって、自分の身近にいっぱいありました。
本当に大切なものを見つけたいと心から願うなら、
日常の至るところでそれを見つけることが出来ると思います。
なので、このブログのサブタイトルも
『日常の中から色んなことに気づいてちょっとずつ成長できたらいいな』
としています。

今も本は読みますが、知識の収集のためではなく、
心の栄養となるものを読むことが多いです。
或いは、ついつい生活に追われて見失いがちになってしまう大切なものを
再確認するために読んでいる本もあります。

そんな自分の過程の中から感じたことは、
どんなに良いものを見ても、聞いても、読んでも
決してそれを鵜呑みにしてはいけないということ。
きちんと噛み砕いて飲み込んで、消化して
初めてそれは、自分のものとなるのだから。

そして多くの一見良いと思われがちなことに、
呑み込まれることのないように気をつけること。
そのために、それを見極めることの出来る目を持つこと。
自らの心に於いて、それを見極めること。
頭の中で考えるのではなく、自分の心の奥底で感じ取ること。
わからないと思うものは、諦めるのではなく、切り捨てるのでもなく、
いつかわかる時が来るまで、心の中に保留しておくこと。
すべての人には、それを見極めることの出来る心が備わっています。

誰かが出した答えの中から、ヒントやきっかけは掴むことができるけど
自分の答えは自分の中にあります。
それを、自分自身で見つけていかなくては意味がないと思います。
丸呑みにしたものは、コピーにしか過ぎないから。
コピーしただけのものは、他の人のものであって
自分のものではないと思います。
自分の持つ役割(個性)も、そこにはありません。

コピーすることがいけないことだとは言わないけど、
それを丸呑みするのではなく、噛み砕いて消化して
自分なりのオリジナルを育てていきたいよね♪

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【 2007/02/01 (Thu) 】 心のままに | TB(0) | CM(18)


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