愛を以って
会社でお客様がみえた時お茶を出すのだが、私はこの仕事が
とーーーーーっても苦手だ・・・^^;
出来ることならやりたくないと思う。
だけどやらない訳には行かず、しぶしぶやってはいるのだが・・・。
先日もため息なんぞつきつつお茶を運んでいたのだけど、
その時ふと、マザーのこんな言葉が心の中に蘇ってきた。
死の瞬間、私たちが裁かれるのは
自分の善業の数によってでもなければ、
一生の間に手に入れた資格によってでもありません。
私たちは、どれだけ愛をこめて仕事をしたかによって
裁かれるのです。
一瞬足が止まった・・・( ;´Д`)
うわぁあああああああああ!!!と叫びたくなった。
たったお茶一杯、そんなことにすら愛を込められない私って・・・汗。
情けねーーーっ!!
なんて小さい人間なんだろうと思ったわ。
で、心を入れ替えて誠意を以ってお茶を運ぼう!と思ったのだけど、
いかんせんそう簡単には人は変わらないわけで。
たかがお茶。されどお茶。
その仕事の背景には色んな想いが絡まりあっていて
一足飛びに方向変換できるほど単純なものではない。
だけど、いつかきっとそんな小さな1つ1つを心から大切にすることの
出来る人となりたい・・・と思った。
そのために、1つ1つ自分の心の中に引っかかっていることを
ほどいていく作業が必要になる。
きっと人というのは、誰しもがその心の奥に大きな愛を抱えている。
存在そのものが愛だと言っても過言じゃないかも知れない。
だけど、それをそのままに出せない、出すことが出来ない何かを
抱えてしまっている存在でもある。
色んなものに縛られて・・・というよりは、自分で自分自身を
縛り付けてしまっているのだろうね。
そんな鎖で身動きが取れなくなってしまって辛くなる。
だけどその辛さもまた無駄なものではないのだろう。
辛さがあるからこそ、そこに本当に大切にすべきものも見えてくる。
マザーが仰ったところの仕事というのは、会社とかでする仕事に
限ったことではないと私は解釈している。
家族のために食事を作ったり、家事をしたり、或いは電車の中で
誰かに席を譲ったり、誰かの荷物を運んであげたり、道端のゴミを拾ったり。
それをどれだけやったかではなく、どんな想いでそれをしたか。
その心の大切さをマザーは諭してくださっているのだと思います。
その心を持てない原因を見つめること。
それは自分だけが持っている歪みではないのだと知ること。
自分というものを理解することによって他を理解すること。
きっと、そんな積み重ねのうちに心の奥底にある愛に
自他を問わず気づける日が来るのでしょうね。
そして、気づける日を待って動くのではなく、今の自分が出来ることを
少しずつでも勇気を以ってやって行くことも大事だね。
私は、愛を以って仕事をする人になります。
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