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響
こんばんは。
息子さん、つらい立場があるんだね。
元のご主人の実家も同じ兄弟内でそんなに待遇を違えるとは…。期待に添えてないというところで受け入れがたいかのう?
元ご主人のご実家の跡取りとかそういう足かせはなくて、ある視点から見れば息子さんは『自由』なのかい?
今回のあおさんの件をかいま見て、自分の足元をしっかりしようと、再び決意するようだよ。
自分の足でしっかり立って歩もうと。
良くも悪くも 自分以外に頼ろうとあてにすると、残念な思いを何度もするのかなーと。
今春、私は実母を亡くしたわけですが、この先は『自分の足で。』というのが大きなテーマだなーと捉えています。
心身ともに頼っていたからねー。
捉えるのはいいけど、実践しようとするときの『何からどうすればいいのか??』と考えた時の、『自分の小ささ』ったらモー!!(悲。
で、今の結論は、ただただ、歩むことをしなければいけないんだね。
『足の筋力が十分ついてから』とか、『道の安全を確認してから』とか、言わずにね。
歩くことが一番足を鍛えるんだからね。
つまづいても・転んでも・歩け歩けだね。
方向が違うとか、良いとかも、歩む中から肌で感じて自分で学ぶんだね、この先は。
それが自分のためなんだね。
(そう思ったから、脱スピも決意したわけさ。)
なんか、熱く語ってごめんよ~。
こんなとき、自分の子供の存在っていいよね。
『一緒に頑張ろう』って、素直に言えばいいと思う。
あおさんんと遠くないところで私も歩いていますよ。
この先も共に頑張ろうや。
あお
響さん
ばんにゃ~っ♪
息子は、小さい頃から義母は可愛がって
くれたけど、義父と元主人はあまり可愛がらなかったんだよね。
義母は息子、義父は末の娘、元主人は上の娘と
可愛がる対象がそれぞれ違っていて、それぞれに
結構辛辣な差をつけていました。
例えば、娘二人で遊びに行っても、義父は末娘にしか
お小遣いを上げないとかね。
そだねー、ある視点から見れば息子は『自由』だね。
息子自身がそう思えるようになれば、しめたもの?かも知れない。
そっかー、響さんにとって母親は偉大な存在だったんだね。
私にとってのそういう存在っていなかったからなぁ。。。
とっかえひっかえ、そういう存在を探していた
人生だったかも?
でも響さんが言う通り、自分の人生は自分の足で
歩くものだと今は私も思うよ。
どこかで何かを履き違えていたんだろうねー。
彼や彼の娘さんを見ていて、
『頼るのとおぶさるのは違う』と何度も思ったけど、
実はその言葉は自分自身に一番言ってあげる
必要があったのかも。
>歩くことが一番足を鍛えるんだからね
まったくだw
スピもさー、ガイドブックではあっても
それに乗っかって歩ける訳じゃない。
そういうことなんだよね。
本当に頼るべきは自分自身だ。
響さんも遠くないところで???
もちろん共に頑張りましょう♪
いつだっていつまでだって。
響
あお