思い込みから By美和 2014-01-13 心のままに 0 Comments 今日は、上の娘の新居へと出向いてきました♪片道65キロくらいかなー。。。大体一時間ちょいくらい掛かりました。途中峠があるので、冬道はちょっと避けたいなぁと思っていたのだけれど、”いつ来るの?いつ来るの?” と、うるさいので・・・wwお昼くらいに着き、あとは娘と二人ショッピング三昧。アイロンと冬用のコートを買わされました・・・( ;´Д`)!!ま、しゃーないやね^^;自分の物もあれこれと衝動買いしてしまい、ちょっと浪費してしまったわー。。。幸い食料はいっぱいあるので、暫くはそれで食いつなぎますw昨日の土曜日は、まったりと仕事をしながらあれこれと色々なことに想いを巡らせていました。そしてフト思ったというか思い当たったことが1つ。。。人はそれぞれ、『自分』というフィルターを通して物事を見ている。例えばバナナがあったとして、バナナが大好物な人はバナナを見て美味しそう!とか早く食べたいなぁとか思うだろうし、大嫌いな人は、うわぁ・・・見たくもない!と思ったりするものだよね。フィルターを通さなければ、バナナ自体には良いも悪いも好きも嫌いもない。ただ、バナナがあるだけだ。(お釈迦様の説く ”中道” とは、こういうことなのかもね)でも、それぞれのフィルターを通して他の誰かにバナナとはどういうものかを説明しようとした時、そのフィルターによって伝えることは全く違うものになってしまう。バナナが好きな人は、とても良いものと言うだろうし、嫌いな人はその逆だろう。そこで思った。私は一体、母の何を知っているというのだろう・・・?と。私に語られた母についてのあれこれは、みなそれぞれの複雑な想いというフィルターを通して見た母であるに過ぎないから。母がみなから、好かれてはいなかったことは確かなことなのかも知れない。でも、だからといって母が嫌な人間だったということにはならない。母が私のことを要らない子だと思っていたというのも、回りからの刷り込みと単なる私自身の思い込みだけだったのかも知れない。。。何故私は自分のことを ”愛されるはずのない人間” だと決め付けてしまったのか。記憶を辿るには、あまりに幼すぎて無理だけど、そもそも自分がそう思い込んでしまった時から、孤独を感じる人生を歩んで来てしまったのではないだろうか。人生は想い通りに運ぶもの。そう、そういうことだったのかも知れない。愛されない人間だと思っているから愛されない。必要とされないと思っているから、必要とされないことが起きて来る。まだ、ヨチヨチ歩きだった頃の私は、よく勝手に一人でどこかへ行ってしまっては知らない人に手を引かれて、ご機嫌で帰って来たりしていたそうだ。それが物心着いた頃には、いつも祖母の後ろに隠れているような子になっていた。私は大きな勘違いをしたまま人生を歩んで来てしまっていたのかも知れない。魂の歪みは、それと気づいた時から修正が始まるのだと聞いたことがある。私の中から孤独感が消えるのも、そう遠くはないかも知れない・・・♪