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命をいただくということ

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By美和

切り身になった魚が海の中を泳いでいる姿を描いた
小学生がいるという話を聞いたことがあります。
その話を聞いたとき、笑い話で済まされることではないと思いました。

普段何気なく買い物をしているスーパーの棚に並ぶ野菜や魚や肉。
今は昔よりそのままの姿を留めているものが少なくなりましたよね。
そこに並ぶものは、命としてではなく、商品として
見てしまっているのではないでしょうか。
どんなに形を変えても、そこには命が存在するのです。

今、目の前にある食べ物がもとは命であることを思うなら、
それが自分の血となり肉となりエネルギーとなることを知るなら、
食べ物を粗末にすることは出来ないのではないでしょうか。
食べ物を粗末にするということは、命を粗末にするということだからです。
品物として見ているから、粗末にするということが
起きるということもあるかも知れません。

生きている動物を殺して食べるのは可哀想。
でも、植物や魚に対してそう思う人は少ないんじゃないかな。
動物も植物も魚も同じ命です。
命の重みに人も動物も植物も関係ありません。

生きていくということは、他の命をいただくということです。
そうしなければ、人間も動物も魚も鳥も生きていくことはできません。
そんな中で想うことは、『感謝をする』ということです。
残さず食べることもその一つだと思います。

必要以上の命を奪ってしまうのは、人間だけです。
狩をする動物を獰猛だと言いますが、彼らはどんなに丸々と
太った獲物が目の前にいても決して殺すことはありません。
食べもしないのに、命を奪ってしまう、または命を粗末にしてしまうことの
出来る人間の心のほうがよほど残酷で獰猛なのではないでしょうか。

命をいただくこということを、きちんと受け止めていくことができない
現代社会は、何度も書いてきたようにやはり大切なものを
見失ってしまっている、置き忘れてきていると思えます。

食べ物をいただくということは、命をいただくということです。
その命をいただくことによって、私たちは生きています。
食べるということは、その命を生かすことだと思います。
感謝の心を持って、その命を自らの命とすることだと思います。
それが、命を失ったものに対する大切な心ではないでしょうか。

ぽちしていただけたら幸いです♪

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Comments 10

おのっちです  

そうですよねぇ~
必要以上に物があふれているんだよぇ~・・・
感謝は何に対しても持っていないと、人が人としてなくなるような気が最近します。
おいしく食べるために、いただきます、ご馳走様、ありがとう、そして挨拶を最低限守って生きたいと思います

2007/01/14 (Sun) 22:21 | EDIT | REPLY |   

あお  

>おのっち
だよねぇ。
どうして必要以上に欲しがるのだろうね。
足ることを知らない欲は、いいものを生み出すことは
ないのにね。

いただきますの心は本当に大事だよね。
この言葉って、もともとそういう意味なのだろうね。

2007/01/14 (Sun) 22:43 | EDIT | REPLY |   

Miho  

そうなんですよね^^
あおさんの記事は、そう思っている人達の
代弁をしてくれるようで嬉しいです。

きっと、自分の命に感謝できる人は、
自分の命を支えてくれている自然や、様々な
生き物に感謝できるんだと思います。

人間社会は感謝よりもストレスで
溢れています。
それにより、自分の命を粗末にする
現象がその証です。
まずは自分の命を考えてみたら、
それによって色んな物に目を向けられる
のではないかと僕は思います^^

テレビではグルメなどと言って、
味や流行、ビジネス的な観点で食べ物を
宣伝しています。
よって、美味しくないから残す「グルメな人」。
有名な店だとか、味付けだとかで人は
食べ物を語る。

何か強いズレを感じます。
あおさんの言うように、魚は最初から切り身だったり、
肉は畑からなったり、びっくりするような発言を
聞くのは事実です。

これからの子ども達が例え計算が速く、パソコンが使え、
記憶力が良くとも・・・生きることの土台、つまり自分が
食べている物への関心を持つことの方がもっと
重要なのは言うまでもありません。

肉を食べながら、自分では可哀想で殺せないと言う人。
自分で殺さなくても手軽に取れる肉。
そうであるから感謝が薄いというのは事実ですよね。
せめて自分に食べ物を提供してくれる人、
なにより食べ物として自分の一部になってくれた
生命に、心から感謝を持つことが、自然とできるように。

今日も、考えさせられる素晴らしい記事でしたv-352
あおさんのその気持ちを、いつまでも大切にして下さい。

2007/01/14 (Sun) 22:45 | EDIT | REPLY |   

ハトクチコ  

正直、痛いです(>_<)。子供の頃、もっと、食べ物を大事にしていた気がします。飽食の時代になって、粗末にすること、多くなっています。頭では、わかっているつもりでも、命の連鎖を心から感じて有難さを感じるのは、きっと、満たされることのない時が訪れた時、なのかな・・・v-12
うんうん、それでも、命の連鎖や食べ物に満ちてることの有難さを忘れずにいることは、とても大切。食事の最初の「いただきます」と終わりの「ご馳走様」は、生あるすべてに、心こめて娘と一緒に言いましょう。

だけど、・・・やっぱり、食は今、そこそこに暮らす日本人の楽しみ。明るく楽しく食事をすることもまた、ある意味、飽食の時代には、命に感謝することかもしれない、と、都合よく考えてしまう、私は能天気です。

どんな豪勢な食事を出されても、目の前の相手次第で、有難い気持ちなんて飛んでる時もありますからねー。空腹を満たしてくれる万物に感謝、そして、食することを快にしてくれる人達に感謝です。

2007/01/15 (Mon) 08:43 | EDIT | REPLY |   

ayafu_ya  

私の価値感が古く貧乏臭いので、
最近の常識的な価値感はとても違和感があります。

今あるものは、昔無かった、それを買ったり使ったりできることは、
楽しみであり、喜びであり、幸せを感じる対象でさえあった、
しかし、それが当たり前になってしまえば、
無い時代を生きてきた人たちでさえ、多くの人が、
それが無いと不幸になるばかりで、
私にはこれが無いあれが無いと嘆く、
みな回りと自分を比べ、何が足りないかを探す、
何か足りないと苦しむ、頑張ってお金を借りてまで得て、
足りない物を手に入れる。

見えるもの何もかもが、くだらないと思えるぐらいに、
自分がなぜそれをするか、考えることはとても重要だと思う。

私は、自分がくだらないと思うことの為に頑張ってはいけないと思う。

自分がしたいことであっても、したくないことであっても、
自分がしたことの結果は自分が得る。






2007/01/15 (Mon) 11:40 | EDIT | REPLY |   

あお  

>Mihoさん
ほんとそうですね。
命の尊厳というものが、今は薄くなっているように思います。

>まずは自分の命を考えてみたら、
それによって色んな物に目を向けられる

良くも悪くも人は人、自分は自分という風潮があるよね^^;
決してバラバラじゃないんだけど、本当は一つなんだけど。
本当は一つだということがわかれば、他を大切にすることが
自らを大切にするのだということもわかるよね。

グルメも、命からいただいた食材を、出来るだけ美味しくいただこう
として食べるなら良いことだと思います。
でも、Mihoさんがおっしゃるようにまずいから残す、食べない
ということには人としての驕りを感じてしまいます。

私は農業も営んでいたことがあるので、農薬とかそういったものや
それに対する色々な実態も生産者側から見てきています。
それについては、またそのうち記事にしますね☆

いつもありがとう^^

2007/01/15 (Mon) 18:36 | EDIT | REPLY |   

あお  

>ハトクチコさん
うん^^;
先日も書いたけど、人って当たり前のことが当たり前のうちは
それがどんなに大切かということに中々気づけないものなのですよね。
当たり前じゃなくなって、初めて有り難味を痛感するということが
多いように思います。

明るく食事をするということも、大切なことだと思います♪
命を奪われた側にしてみたら、嫌々やまずそうに食べられるよりも
楽しく美味しく食べてもらったほうがいいと思うもの^^
食事をするときの雰囲気・・・大切だなぁ・・・シミジミ。
気づかせてくれてありがとう!!
食事を快に出来る人となれるよう頑張る☆

2007/01/15 (Mon) 18:44 | EDIT | REPLY |   

あお  

>ayafu_ya さん
古く貧乏くさいとはまったく思いません。
私も同じように感じています。
ちょっと前にも、「考え方が古い。」と言われたばかりです^^;
でも、「古いとか新しいとかいう問題じゃない。大切なことは
大切なんだよ!」と言い切りましたがw

足ることを知らない欲望は・・・と前のコメントの返事にも書きましたが、
本当にキリのないもので、そしてそれを追う限り、大切なものを
見つけることは難しいでしょう。
必要以上のものを欲しがる心が生み出すものは、決していいもの
とは思えません。
欲自体が悪いとは言いませんが、何であれ、心次第。
心一つで、良いほうにも悪いほうにも全ては転ぶのですよね。

>自分がしたいことであっても、したくないことであっても、
自分がしたことの結果は自分が得る。

全く以ってその通りだと思います。
よくバチが当たるとか言いますが、それは神様とかが与える罰
ではなく、自分のしたことが自分に返って来るということだと
思います。
そして、私たちはバラバラではないので、自分のしたことが自分だけに
返るのではないのですよね。

2007/01/15 (Mon) 18:56 | EDIT | REPLY |   

Lyrica  

あおさん、こんにちは^^
ちょっと過去記事を読ませていただきました。。。

私も全く同じように思います。。。
人は生かされている。。。
私は、全てに精霊が宿っていると考えていて
その命を頂いて生かされている。。。
私達の中でその精霊の命を継いでいく。。。
そういう気持ちで、頂いています。。。
本当に。。。感謝ですよね。。。

あおさんのような気持ちを持った方が。。。
これからどんどん増えていくと、地球もきっと
喜ぶと思います^^
素敵なお話ですね。。。ありがとうございます^^

2007/02/05 (Mon) 11:16 | EDIT | REPLY |   

あお  

>Lyricaさん
過去記事読んでくださったんですね^^
ありがとうございます。感激です・・・(;-;)。

当たり前のことを当たり前と感じているうちは、
色々なものが見えないのだと思います。
見ているけど見えてない。
聴いているけど、聴こえてない。
でも、ちゃんと目を開いて見ると、耳を澄ませてみると
色んなものが見えて、聴こえてきますよね^^
そうすると、どこを見ても聴いても生かされている自分を
感じることが出来るようになる。
そして、感謝の心が自然と湧いてくる♪
こういうお話を同じ目線で語れるって素敵なことですよね^^
Lyricaさんとの出会いに感謝です☆
いつもありがとうございます^^

2007/02/05 (Mon) 18:57 | EDIT | REPLY |   

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