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驕り

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By美和

怒り、謗り、妬み、傲慢、欺瞞、怠惰・・・など。
それらの哀しい心を持つ人を見るとき、
見下げるような目で見ることは私は違うように思っています。
哀しい心を持つ人にこそ、温かい眼差しが必要なのではないでしょうか。
相手を信じ、温かい心で見守る心から出る眼差しは、
「見下げる目」とは違うのではないでしょうか・・・。

見下げる心というのは、相手の上に立ったものの見方から
出るものが多いのではないかと私は思います。
そこには、「驕り」を感じます。
「可哀想な人・・・。」「この人は何もわかっちゃいない。」
そう思える人は確かに大勢います。
でも、そこだけで終わってしまっていいのでしょうか?
そこだけで終わってしまう心には「驕り」が見えます。

人には上も下もありません。
現実に魂としての段階が進んでいる人、そうじゃない人はいます。
でも、それが上とか下とかにはならないと思います。
今、共に歩んでいる仲間なのです。
命としての、存在としての重みは、みな一緒なのです。
人以上に何かを知ってたり、持ってたりすることが
人より上ということにはならないと思うのです。

段階が進んでいる人は、そうじゃない人を見下げるのではなく
信じて、その心を抱きしめた上で、道しるべを心穏やかに示し、
同じ目線で立ち、導くべきだと思います。
時には共感し、時には叱り、時には共に泣き、時には待つ。
そして、そういう心やその心から出る言動が
他ならぬ自分自身の歩みを深めて行くことになるのだと思います。

本当に相手のことを想っている時は、怒っていても叱っていても
その言葉がどんなに厳しいものであっても、心は穏やかです。
そして必ず相手の心に響くと思います。
それは今すぐ結果が出ることではないかも知れません。
心に響いたからといって、すぐに心を正せるかというと
そんな簡単なものではないと思うからです。

でも信じ、今の自分ができることをする。そして、待つ。
十年でも、百年でも、千年でも信じて見守りながら待つ。
私達一人ひとりもそうやって待ってもらえているのです。
信じて見守られているのです。

驕りに傾きそうになった時は、大空を仰いでみよう。
大地を踏みしめてみよう。そよぐ風を感じてみよう。
『生かされている自分』を思い出そう^^

↓ポチしていただけたら幸いです♪

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Comments - 9

おかやん  

まぁた コメントしづらい話題にしやがったなぁw

とりあえず 傍観者www

[岩陰]_・。)

2007/04/17 (Tue) 23:11 | EDIT | REPLY |   

あお  

>おきゃ
ヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆www
まぁまぁ、そう言わずw
(´▽`) ホッとするコメントありがとうね♪
でも・・・。
[岩陰]_・。)~~~~ヘ(゚ー゚*)))グイグイ
強制連行:ヽ(゜▽゜ )-C<(/;◇;)/ イヤァアアアアア!!
||Φ|(|;|-|;|)|Φ|| 監禁!
おし、捕まえた♪

2007/04/17 (Tue) 23:37 | EDIT | REPLY |   

イマジン  

菩薩様の極致ですね^^
人はもとから未熟な存在、
隣人に対しての寛容さを皆
学び、許しという最も尊い
魂をオイラも持てるように、
日々修行します・・・。
素晴らしいですよ、あおさん!
ありがとう。

2007/04/18 (Wed) 11:05 | EDIT | REPLY |   

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2007/04/18 (Wed) 13:05 | EDIT | REPLY |   

相原咲羅  

悲しい感情を持つ人に対して、
見放さずに温かく見守ることが、
今の世の中欠けている気がします。。

少しばかり失敗したからと言って、
相手を責めたり見離したり…。
そんなことしては、お互いマイナスになるばかりですよね。

相手を思いやり、
温かい心で包み込んであげることが
大切だと思います♪

2007/04/18 (Wed) 13:39 | EDIT | REPLY |   

ゆき  

>怒り、謗り、妬み、傲慢、欺瞞、怠惰・・・など。

誰だって、そういう経験は多かれ少なかれあります。
今現在の自分に、それがないから、相手に対して
そう思えることもあるでしょう。
自分に矛先が向かっても、包み込めるぐらいの器に
なりたいですね。
こんなこと言っている、今の自分は無理です!(≧m≦)ぷっ

>本当に相手のことを想っている時は、怒っていても叱っていても
その言葉がどんなに厳しいものであっても、心は穏やかです。
そして必ず相手の心に響くと思います。

これは、相手を思って「叱る」と
自分の感情を入れた「怒る」の違いですね。
特に子どもに対しては、注意すべきところですね。

2007/04/18 (Wed) 15:01 | EDIT | REPLY |   

あお  

>イマジンさん
ありがとうございます^^

でも、私もまだまだです・・・(>_<)
私は今世、菩薩を卒業するという志でこの世に出たのだと
言われたことがあります。(霊能者とかからじゃないですよw
その目標にはまだ遠いですね・・・。
日々、全てを大切にし全身全霊で味わい尽くしたいと
思います^^

2007/04/18 (Wed) 18:21 | EDIT | REPLY |   

あお  

>相原咲羅さん
(*゚▽゚)*。_。)*゚▽゚)*。_。)ウンウン
本当にその通りですよね。
そして、相手を責めたり見放したりする心こそが
「哀しい心」なのです。
失敗し、凹んだり泣いたりできる人は幸いです。
それを笑う人こそ、実は救われなくてはならないのですよね。

2007/04/18 (Wed) 18:23 | EDIT | REPLY |   

あお  

>ゆきさん

>自分に矛先が向かっても、包み込めるぐらいの器に
なりたいですね。

そうなってこそ、本物ですよね^^
そして、怒り、謗り、妬み、傲慢、欺瞞、怠惰・・・などが
自分の心の中にもあるからこそ、それを理解し
信じることが出来るのだと思います。
誰の心の中にもあること。ここが鍵ですよね♪

子供に対しては特にそうですよね。
私は全然出来てない親でした(^_^.)
出来てないからこそ、それじゃいけないのだということを
子供に教えられたと思います^^;

2007/04/18 (Wed) 18:42 | EDIT | REPLY |   

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