感覚
ちょっと遠くて見づらいかな・・・^^; 携帯カメラなのでご勘弁w
先日、病院へ検査に行った帰りに撮って来た知床連山です^^
肉眼では、もっのすごく綺麗に見えていて、思わず写したんだけど。
今年は流氷が遅く、未だにその姿を見ておりません。
少し前の記事で、理屈なんてない、そう感じるからそうなんだ。
みたいなことを書いたんだけど、この”感覚”ってものって
自分が思っている以上に大事なものかも知れないと
この頃になってすごく思うようになっています。
本当は理屈なんて必要なくて、理由なんかも必要なくて
そんな風に自分を納得させる必要すらなくて・・・。
そんなところに留まっているから、しがみついているから
大切なものから自ら遠ざかっているのかも知れなくて。
どうして、なんでそうなるの?どうしてそう思うの?
こんな疑問はもしかしたら愚問かも知れない。
多分、自分の中にある本当の答えは思考の中にはない。
考えれば考えるほど遠ざかってしまうものかも知れない。
そんなものをすべて放り投げて、あるがままの自分に
どっかりと寛いだ時にふと見えてくるものなのかも。
どんなに理屈が通らなくたって、理由を説明できなくたって
確固としてある自分の中の感覚。
これを今一度ちゃんと大切にしようと思う。
幼い頃、私はよく見えないものと対話をしていた。
そこに言葉はなく、あるのは感覚だけ。
その相手は、花壇の花であり、星であり、風であり、雨であり。
会話というよりは、同調とでも言おうか・・・。
その存在そのものを感じている感覚とでも言おうか。
そんな存在にどれだけ癒されたか知れない。
どれだけ勇気をもらったか知れない。
だけど、いつの間にかそんな感覚から遠ざかっていた。
私がどれだけ遠ざかろうが、それらの存在はいつも
いつでも、私と共にあってくれているのにね。
信じるべきものは、この自分の中にある感覚なのかもです。
諸行無常の中において、唯一変わらない感覚。
私はそこへ還ろうと思います・・・^^
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